>>戦争映画中央評議会

9日目 ヒトラーに捧げる祈り

ダッハウやばすぎ系映画

 

収容所度

100

地獄度

100

ゲシュタポ怖い度

100

総合得点

80


2004年 ドイツ、ルクセンブルク、チェコ映画。

フォルカー・シュレンドルフ監督作品。この監督の映画は、「ブリキの太鼓」「シャトーブリアンからの手紙」などがある。

ダッハウ収容所で地獄の囚人生活をおくる元ルクセンブルクの神父アンリ・クレーマーが主人公。死ぬ思いで囚人生活をおくっていたが、ある日突然釈放される。ヨカッタヨカッタとクニへ帰るが、帰ると早々ゲシュタポのゲプハルト少尉に「おかえり!早速で悪いんだけど明日10時にゲシュタポ本部に来てねー(^o^)/」と声をかけられる。あえなく「ごめんねー、釈放じゃなくて9日間の一時帰宅の間違いだった♡ごめん♡」と申し受ける。

 

 い、、いやだ、、、いやだよもう、、、戻りたくねえよあんなとこ、、、

もどりたくねえ、、やだ、、やだ、、

 とツラいのだが、神父はルクセンブルクの司教にコネを持ち、経済界に影響力を持つ親族がいる。ゲプハルト少尉は神父を利用価値がある、とみなし、ナチの宗教政策に協力させようとする。バチカンをはじめ、カトリック教会はナチの事実上の支配下にあり、逆らえない状況ではあったが、ナチは支配体制を盤石とするため、ルクセンブルクの司教にナチへの賛同を声明させることを画策。クレーマーを送り込むというわけだ。

 もしも無事に任務を果たせたら、クレーマーは収容所に戻ることを免除され、家族も助かり、収容所で囚われている他の神父仲間たちも完全釈放される。これ以上ないぐらいの飴玉だが、信仰に厚い神父はナチスに協力することをためらう。

神父はもともとフランスでレジスタンス活動に身を投じていた筋金入りの闘志で、ナチの人種政策に反対する声明も出していた。その関係で逮捕されてダッハウでえらい目にあわされていたのだ。

ダッハウでの地獄の日々は信仰心を揺らがせるに十分であった。あそこに神はいない。番号で呼ばれ、一切れのパンを3人で分け合い、満足に水も与えられず、重労働に駆り出され、サディストの親衛隊に拷問・虐待を受ける毎日だ。この収容所の風景はかなり過酷で、尺にすればわずかだが、こんなところに帰りたいわけがないと、観客に十分に理解させることができるだろう。かなりの破壊力。これは嫌だ。。ツラい。。

これはダッハウ行ったときにこういう拷問の写真をみました

ゲプハルト少尉は「イングロ」でステレオタイプ通りのナチ将校をビシッと演じてくれたアウグスト・ディール。独特のキビキビした動きがいかにもゲシュタポい雰囲気。

 

 神父はダッハウに戻されるは嫌だけど、ルクセンブルクの司教を丸め込むという任務にもイマイチのれないのであった。まるでキリストを裏切ったユダのようである。ゲプハルトは「ユダは改革者だったゼ?」という持論を持っていて、神父とはそこでも気が合わない。ゲプハルトは元々助祭だったらしく、司祭になる道よりナチ親衛隊に入る道を選んだ男。まるで土壇場で神を裏切ったユダの如く思える。でもおれだってダッハウで親友が死にかかってるのに水を分け与えてやらなかった、、、おかげでダチは死んで、、、おれも裏切りの味を知っている。。。

といったあんばいで、神父はゲプハルトと神学論争をやってるうちに自分が何したいのかどうすればいいのかわからくなってくる。もう時間もない。堂々巡りのせめぎあいはぎりぎりまで続き、神父が下した結論とは・・?

ゲプハルトももっと偉い奴から「おまえこの任務に失敗したら東の収容所に左遷な!」と脅されていたからすごくいい感じに必死になっている。囚人の神父に生殺与奪を握られている状況だ。これはこれで嫌な任務である。

考え方も立場も真逆な二人が、ヘナチンのルクセンブルク司教を動かすため、共闘する映画ともいえる(この司教がほんっとに小物なのよ)。「ホロコースト〜アドルフ・ヒトラーの洗礼〜」を思い出した。関連作としておさえておきたい。

個人的な感想を述べれば、家族も仲間も自分自身も守れる最大のチャンスながら、それでも信仰をとった、ナチの思い通りにはならなかった、というのは崇高だとは思うが、、、、おれだったら神なんかもう知らんな〜、、無神論者だしおれ、、ここまで信仰を優先するのは理解が難しい。大したもんだとは思うが。。舞台はザクセンハウゼンだが、テーマは「ヒトラーの贋札」もよく似ている。

ホロコースト(ユダヤ人は出てこないから収容所系映画か?)映画としては、地味だし、話もユルいが、軍服などの時代考証は手堅く、なかなか楽しめました。

 

 

 

 

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