ハンナ・アーレント

予備知識がいる

哲学 100
衝撃 10
ジェンダー 70
総合得点 60

アイヒマンの裁判を傍聴したハンナ・アーレントが、哲学的視点でアイヒマンを論評し、「イェルサレムのアイヒマン 〜悪の陳腐さについての報告〜」と題して雑誌ザ・ニューヨーカーに寄稿する。しかしそれはあまりにも衝撃的内容で、アイヒマン擁護、ユダヤ人批判と受け止められ、世間から大バッシングを受けるのである。

アドルフ・アイヒマンは命令に従っただけの凡庸な役人だった、とよく言われるが、逆に"思考なき"役人だったならば理解できない部分もある。例えば、ヒムラーがユダヤ人の殺戮を中止する命令をだしたのは1944年の秋だが、アイヒマンは戦争が終わる直前の翌年までユダヤ人を移送することにこだわり、かつ大量に人質にして西側に身代金を要求した男である。

ゲシュタポ長官ミュラーは
"アイヒマンがあと50人いれば戦争に勝てた"との言葉を残したそうだ。アイヒマンがただの歯車の一本で、代わりなんていくらでもいるような凡庸で思考なき役人だったならば、これは矛盾すると言わねばならないし、イスラエル当局も必死で追いかけたりはしないであろう。

が、しかしである。
アイヒマンが当初から生粋の反ユダヤだったかといえば、これはかなり疑わしいとされている。特に大した"思想"もなく、仕事していた。だが《民族の宿敵》にやたら詳しいスペシャリストであると同僚から注目を浴びると話が違ってくる。最初はちっとも興味はなかったが言われるままにやっていたらだんだんうまくやれるようになってきて、だんだん仕事が楽しくなってくる。という普通の日本のサラリーマンのような構図があったのも確かだ。

まあ、たった一人の人間でさえ、つまびらかにするのは難しいものだろう。木っ端役人か、稀代の大悪党か、どちらにせよアイヒマンが断罪されるべき人間なのは確かだろう。

アーレントの意見が正しいとも間違ってるとも、ワタクシも無学な男ですからよくわかりまへんが、、結局この映画は自分の意見を世間の非難にもめげず貫き通した系映画といえる。たまにあるでしょうこういうの(笑)。

アーレントの哲学的な客観性が、同胞に冷たい!悪人に生温い!ととられたわけなんですが、客観的ならいいのか、真理をついているのか、といわれたら謎なわけです。アーレントのお師匠様はあのハイデッガーです。ハイデッガーはナチス協力者の哲学者ですし、アーレントは彼と愛人関係にあったと言われている(笑)。でもハイデッガーは20世紀で最も偉大な哲学者と言われ、評価は揺るぎません。映画の中でも「おまえハイデッガーびいきなだけじゃん、舐めてんの?」と遠回しにアーレントをなじってる場面があります(笑)。あまりに遠回しなんでよくみないとわからないでしょう(笑)。探してみてください。哲学的なアチチュードが常に正義か?と言われたらそれははっきりと否定されているんです。

またアーレントは、アイヒマンがユダヤ評議会を取り込んで協力させた、ユダヤ評議会は同胞の虐殺に協力したという今のホロコースト学から言えばごく当たり前な超常識を大っぴらにした人物でもあります。で、その当時はユダヤの裏切り者としての評価しかもらえなかったわけです。こう考えるとハンナ・アーレントの論評は悪魔の化身とされたアドルフ・アイヒマンと、その行動原理を解き明かそうとし、アイヒマンのような人物が行う悪を最も凡庸な、しかし最も忌むべき悪として糾弾したのであります。その仕事はやはり偉大なものであると思いますし、"凡庸な悪"が我々ユダヤ人にもあったんじゃないか?とさえ言った勇気ある人物でもあったのです。

これはやっぱ並みの人間にはできませんよ。というわけで、ワタクシはこの人物は尊敬できると思っていますが、映画としてはどうなんでしょこれ?よほどこの辺のテーマに興味がないと楽しめないかも?女性が堂々と世間と戦っている!という構図にフェミニズム的な魅力や味わいを感じてしまうかもしれないが、その見方ではこの映画を堪能したとは言えないでしょう。そんなのは他の映画でもできることではないでしょうか?是非、アドルフ・アイヒマンについても調べて、皆さんも考えてみてください。


アドルフ・アイヒマン役の俳優はだれ?!みればわかります

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