モレク神

パパヒトラーママヒトラー人間のヒトラー

亡霊度

100

薄暗い度

100

不気味度

100

総合得点

85






アレクサンドル・ソクーロフの「モレク神」。98年ロシア映画。

「太陽」で昭和天皇を見事に描いてみせたソクーロフ監督だったが、実は「太陽」は権力四部作と呼ばれる連作の三作目である。その一作目にあたるのがこの「モレク神」。モレク神とはヘブライ語で王を意味し、キリスト教世界では
偽の神を意味する。この映画の主人公はズバリ、アドルフ・ヒトラーである。まさに偽神と呼ぶにふさわしい人物だろう。



派手な戦争映画か?
はたまた小難しい政治映画か?
どちらも否である。

これはただ単にヒトラーの人間としての一面を描いた映画である。ヒトラーのはじめた戦争は未曾有の大戦争へと発展し、その虐殺によってユダヤ民族、スラブ民族ほかたくさんの民族が大惨事をこうむり、ヨーロッパを破壊し、はてはドイツを破滅へと追いやった。

これほど20世紀に大きな爪痕を残した人もいない。ヒトラーは悪魔の化身だったのか?邪悪の神か?

ヒトラーは人間である。
当たり前なんだが、ヒトラーは人間なのだ。

同じテーマの作品として「ヒトラー最期の十二日間」が即座に思い出されるのだろうが、この映画はあれとは全く異なった切り口で人間ヒトラーを描き、その人間に潜む途方もない闇を描いている。テーマもあれだが、観れば相当不気味な映画とわかるはずである。

舞台はベルヒテスガーデン、ヒトラーの山荘、通称「イーグルネスト」。ドイツとオーストリアの国境付近にある雄大な景色をのぞめる小さな山荘だ。ここで重臣や愛人エヴァ・ブラウンと休暇を過ごす
≪フューラー(=総統)≫のダラダラした姿を緩慢に描いているだけの映画だが、もやのかかったような不鮮明な暗い映像と、≪総統≫とその取り巻きの時代錯誤の奇妙な会話、滑稽なやり取り、美しいはずだがひたすら不気味な山の景色…などもろもろのせいで、これほど幽玄なロストワールドはないだろうと思うぐらい不思議な空気の映画となっている。この映画はこの奇妙な空気を感じるだけでも観る価値があると思う。特にその不気味さに貢献しているのは≪総統≫にべったりくっついて離れない金魚のクソ、ゲッベルスだ。ヒトラーに心酔し、最も忠実な部下だった男である。のちに斜陽に陥る第三帝国で、重臣の誰しもが裏切り騒動を起こすのだが、この宣伝大臣ゲッベルスは最期まで≪総統≫に寄り添い、あろうことか妻と6人の子供ごと殉死までしてみせた。このゲッベルスがこの映画でもしばしば登場する。ブカブカの服を着た足の悪い子供のように背の低いおじちゃん。30年代のキチガイアメリカ映画「フリークス」の中で登場してても不思議じゃないような奇妙な違和感。現実のゲッベルスにはあまり似ているとも思えないが、この不気味映画の不気味空気を増大させるのに大きく貢献しているといえる。ちょっとしか喋らないのにすごい存在感で、≪総統≫から離れずずっと一緒にいるのだ…。

≪フューラー≫はエヴァと二人きりなった時はわがままなでかい赤ちゃんのようでもあり、フューラーの仮面を脱ぎ捨て人間としての素顔を惜しげも無くさらけ出している。軍服を脱ぎ、虚飾のすべてを脱ぎ捨てた人間としてのありのままの姿を。もうチャップリンかと思うぐらい滑稽なのである。全然かっこよくないし、威厳もないし、
ただのおっちゃんなんだよな。しかし取り巻きどもの前で≪フューラー≫を演じている彼はどこか苛立たしげで取り留めもない。次に何をいうのか考えてから喋っている。楽しいと感じてもそれを隠し通そうとする。子犬を可愛いと言いたいが我慢する。だがエヴァの前で愚痴をもらす彼、愚痴なんか聞きたくないわ!とぞんざいにされる彼はどこか楽しげだ。嬉しそうでもあり、人間としての温もりを感じているのだ。エヴァはそれがわかっている。≪フューラー≫は幻想であり、聴衆が作り上げた偽の神だと見抜いている。取り巻きどもの中で彼女だけが唯一見抜いているのである。彼も見抜かれていることを知っており、それを楽しんでいるのだ。

もちろんここで描かれる"人間ヒトラー"の姿は空想であると思われるが、「太陽」に似た生々しさを感じるのもまた事実。

個人的にギョッとしたシーンを紹介したい。
ヒトラーと取り巻きが談笑している中、エヴァが"アウシュビッツ"という言葉をポロリと口にしてしまう。ほんのジョークのような軽いノリで。場の空気がサッと重くなる。ヒトラーはすぐにその空気の変化に気づき、
「アウシュビッツとはなんだ?」と尋ねる。場は針が落ちた音すら聞こえるほどに凍りつき、なぜかおれの背筋にも冷や汗が走った。

ヒトラーはアウシュビッツを知らなかった。絶滅収容所を知らなかったという説がある。これは≪ライヒスマルシャル=国家元帥≫ゲーリングが「総統はアウシュビッツも絶滅収容所も知らなかったと思う」とニュルンベルク裁判の時口にしたことから、割と人気のある説だ。ヒトラーはユダヤ人の殲滅を命令したが、実行したのはヒムラー以下親衛隊であると。細かい現場のあれこれは知らなかったと。ソクーロフ監督はこの説を大胆に採用し、人間のとらえどころのない闇と、偽の神、見せかけの権力、それを崇めるふりして利用する人々、そしてドイツの滅亡を暗示させる不吉な当時の空気を描いてみせた。見事な手腕。ヒトラーに興味のあるすべての映画ファンに観てもらいたい映画だ。

ただ、この映画はヒトラーを描くだけでは物足らなかったのだろうか?この映画の主人公はヒトラーの愛人、エヴァ・ブラウンである。このことに異論は出ないだろう。虚飾をまとい死と災厄を撒き散らす偽神。その本性はただの弱い愚痴っぽい腹の出たおっさんだが、エヴァはその人間としてのヒトラーを愛したのである。≪フューラー≫など演じなくとも、凡庸な自分を愛してくれた女性がいたのに。それを捨て去りあえてヨーロッパに死と破滅をもたらしたのだ。ヒトラーをモレクに仕立てたのはドイツ国民だが、自らをモレクのままで良いと決断したのもまたヒトラー本人だった。だからこそヒトラーは罪深く、そして愚かなのである。

※映画の中の話だよ。ヒトラーとエヴァの関係性は創作です。多分ね。



 

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