無言歌

中国砂漠の強制収容所

風度 100
砂度 100
無言度 100
総合得点 80

 

無言歌…
すごいタイトルだ。どういう意味かはわからなかったが、観て納得はさせられた。ハッピーな映画ではない。

中国の
右派闘争というものをおれはよく知らなかったんだが、(恥ずかしながら中国近代史はとおりいっぺんの知識すらないワタクシだ) これほんとか?

"1949年、中華人民共和国を建国した毛沢東は独裁体制を布く。しかし、56年にソ連でスターリン批判が始まったことも契機となって、毛沢東は「共産党への批判を歓迎する」と「百花斉放・百家争鳴」と呼ばれる運動を推進。これ以後、知識人の間で中国共産党に対する批判が出始めるようになった。しかし、57年6月、毛沢東は人民日報に「右派分子が社会主義を攻撃している」という社説を掲載し、突如、方針を変更。ここから一気に、それまで党を批判した人々を容赦なく粛清する「反右派闘争」が始まった。右派分子とされた人々が収容された再教育収容所では、ちょうど59年から61年にかけての「大躍進政策」のもたらした飢饉の時期と重なったため、多くの死者を出した。78年以降、多くの「右派」の名誉回復を行ったが、いまだ名誉回復されない者も多い。"
公式ホームページより

だ…騙しうちじゃん…。
卑劣すぎる…
毛沢東たんはなにを考えていたのか謎すぎますな。。

中国の強制収容所事情なんて映画化されるのは超レアである。中国はいまだゲシュタポい秘密警察が十億以上いる人民を監視し、思想を検閲し、反体制派は拷問して秘密裏に処刑というのをいまだにやっている。この映画は存在自体に意義がある。命知らずの勇気の産物なのである。

上記のような背景で、風と砂が吹き荒ぶ荒涼としただだっ広い砂漠の強制収容所で、公的権力によって右派と分類されたばかりに撲滅されゆく哀れな犠牲者の姿を描く。

飢餓と寒さと惨めな内ゲバと。
公安局や官僚や党員の奴隷として苦しめられる人々の姿。

これはやはりスターリンがウクライナで引き起こした飢餓ジェノサイドを連想させる。既視感のあるやり方。人間の思想を検閲してレッテル貼りして撲滅する。証拠は密告一本でいい。共産党の常套手段である。

囚人同士がお互い語らう。
「なんであんたは右派に分類されちゃったの」と。

「いや〜それがこれこれこういうわけでして…」※

※それがまたスーパーフライ級にしょーもない理由だったりする。それが招いた結果は超絶のヘヴィ級なわけだが。

この映画はこのような中国の砂漠の収容所で極限状態に置かれた人々が、飢餓に苦しみ醜く這いずり回り、尊厳の全てを剥奪されながらも、互いに気遣うことをやめはしない。

それでも、人を想う。(このキャッチをつけた人は天才じゃないかと思った。)

人間の醜さ、業を描きつつ気高さをも描くこの映画。こう書くと「夜と霧」のような文学作品にも通じる普遍的テーマかもしれない。人は獣のようなものだが、本当に獣になりきることもまたできない。人には心があるからである。(どこかで聞いたようなセリフでしょう?)

だがこの映画を観て、
ああやっぱり人って美しい生き物なのね!夫の遺体を探し続ける妻の美しい姿!アタシでもそうするわ!ああいい映画!あっ!いけない!スイーツの約束に遅れちゃうワ!パタパタパタ…バタン(家を出て行く音よ)

・・となるとしたら、
あなたはこの映画を観た意味はまったくない。この映画の目的はもっと現実的で政治的なものである。この映画が一番言いたいことは、このような非道な政治体制の独裁国家がいまだ世界に大きな影響力を持ち、反体制派を残虐な強制収容所で血の海に沈め続けていることである。

このことに想いをはせられないのであれば、この映画を観た意味もないし、この収容所で死んでいった人々も浮かばれない。次こんな映画がみられるのは中国共産党の独裁政治が終焉を迎えたその後であろう。製作者たちは文字通り命をはって作っている。是非もう一歩深く考えて欲しいと思う。

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