>>戦争映画中央評議会

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野火

レイテ島の地獄

極貧度

100

人肉度

100

ヤケクソ度

100

総合得点

80


市川崑の59年の日本映画。

これは非常に面白い映画で、大変楽しめた。かなりお勧めしたい映画である。

舞台は太平洋戦争末期のフィリピン、
レイテ島。上陸してきた米軍に包囲され、食料も尽き兵站も崩壊した日本軍は各個が散り散りに絶望的な抵抗を続けていた。その末端兵士の現実をタブーを超えて描いた映画である。

この手の映画は上層部の人間模様を描いて、大局的に物事を説明しようとするやり方が普通である。そうでなければまとまりのないただの羅列になってしまうからなのだろう。まとまりのない羅列を嫌うのは日本映画界の伝統である。しかしまとまりのない羅列をつまらないと一体誰が決めたのだろうか。結構面白いと思うけどなあ。まとまりのない羅列。

話は実に
日本的リアリズムに満ちていて気に入っている。



肺病におかされ血を吐いた兵隊がいる。さて、
この人は傷病者ということで病院に入れるんだろうか?野戦病院に?一回血はいただけでまだまだ体は動く。そんな兵隊が末期の地獄のようなヤケクソな戦場で負傷者扱いされて病院でスヤスヤ寝てられるだろうか?そんなうまい話はない。じゃあ最前線で戦うことができるだろうか?それも否である。戦闘員の扱いを受けるわけでもなく負傷者にもなれない。たとえようのない孤独。そんな男がこの映画の主人公である。

冒頭からすごいインパクト。この肺病の兵隊”田村”が分隊長から説教されて部隊から追い出され、病院へとトボトボと歩き始める冒頭がまず秀逸。
もう日本的建前に満ちた分隊長のどうにもならない説教!早口で全然聞き取れないんだけど言ってることは不思議とよく伝わるw。まとめると、
「おまえみたいな病人をかっとける余裕は中隊にはないんだ!
病院へ帰れ!入れてくれないなら入れてくれるまで粘るんだよ!
それでもダメなら自決しろ!手榴弾持ってるだろ?!
おれは何も食い物が惜しくて言ってるんじゃないよ!?いや?」


よく似たことを言われたことがあるという現代企業戦士もいるのではないかと推測されてとにかくおかしいのだが、これを言われた田村は律義に命令を復唱する。

「はい。田村一等兵はこれより病院へ向かい、入れてもらえなければ手榴弾で自決いたします。」

もうここで大爆笑するしかない。
これを半ば棒読みでやるのが素晴らしい。やる気は全然ねえ。でもそう言わないわけにはいかん哀しさ。この悲哀がわかる程度にはおれも大人になった。

さて、とぼとぼと病院へ向かう田村だが、道中あちこちで黒い煙が上がっているのを目撃するが、なんなのかはわからない。途中でフィリピン人の農夫に親しげに食い物をわけてもらうが、これが罠だと気付いた田村は即座に逃げ出す。大東亜共栄圏?とんでもない。それは日本人のオナニーだ。フィリピン人ははっきりと日本軍を占領軍と位置付け、国土解放のためにゲリラとして戦っていたのである。


命からがら逃げてきてどうにかこうにか病院へたどりつくが、やはり病院では門前払い。病院の前の原っぱでぐでっと横になるしかない。そこには同じような境遇の落伍者たちがいた。

その後病院が砲撃を受け、命からがら逃げ出す田村だが、仲間とははぐれ、帰るべき中隊も既になく、レイテ島の荒野をあてもなく放浪する。一人ぽっちで。

さて、ここまであらすじを書いたが、これが果たして戦争といえるだろうか?敵兵の姿など影も形もなく、しけた三八銃とたった一つの手りゅう弾。食いもの求めてうろつくだけ。手りゅう弾だっていいところ自決用だろう。三八は弾がしけって3発に1発は不発。
なんとみじめな一人軍隊だ。「ランボー」とは大違いである。

糧秣がつき、現地人から食料を奪い、餓えて乾いて疲れ切り、人肉食の誘惑に駆られながら、ただただいつ終わるともしれない戦争の世界を生きる。食う誘惑と食われる恐怖。仲間すら信用できず、別々の寝床で寝る。人肉食の罪悪感を消すため、人の肉のことを猿の肉と呼ぶあたり感動するほどの日本的建前。ニューギニアでは黒豚、白豚だったそうだ。罪悪感が消えれば何でも良いのですね(笑)。


仲間同士で自らの痩せ細った体を守るための最後の騙しあいを終えてとる田村の行動には、
「もうしょうがねえよな」としか言いようがない。
本当に最悪の世界である。こんな戦争をついこないだまでしてたなんてね。あきれ果てます。






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