牡牛座

レーニンの晩年

緑色度 100
緩慢な意識度 100
ボケ老人度 100
総合得点 80


アレクサンドル・ソクーロフの「牡牛座」。権力四部作の二作目である。

レーニンの最晩年を描いている。

この映画の感想を述べることは日本人には至難である。レーニンの晩年?そんなもんをよく知ってるという日本人が一体何人いるというだろう。

映画が創作かある程度史実に基づいているのかあるいはそれらの混合かは大抵の人には判別がつくまい。

ただ、「太陽」「モレク神」が史実と創作のミックスだったことを思い出せば、この「牡牛座」もそうなのかもとあたりをつけることはできるかもしれない。まあ考えてもわかることじゃないので、そう仮定して話を進めよう。

話はしょっぱい。

絶望的なしょっぱさである。物語冒頭でレーニンはすでに脳血管障害による発作に見舞われ、半身不随と知能の低下が生じている。栄光に満ちた?革命家としての時代は一切描かれないので注意。

体は自由に動かず、悲しいが知能さえも低い。それでもロシア革命の最重要人物であるレーニンは、治療の名の下にボリシェヴィキ党中央委員会の監視の元に置かれている。侍従や医者がそばについているが、もはや革命家に対する尊敬の念は皆無で、ボケ老人に対するぞんざいで冷淡な態度があるのみである。

人間にどれほどの栄光の時代があるにしても、最後は結局こうなのか…わかっちゃいたがやはり悲しい。

脳血管障害の後遺症に対する知識も少しばかり必要となるこの映画だが、その辺も考慮すればやはり難解な映画である。字幕に関していえば神経学的に素人が訳しているのはすぐ知れる。あるいはこの時代の医学が遅れていたことを示唆するのかは知らないが、おれは前者だと思っている。

例えば、
「感覚と運動機能が失語症状態です」と医師が述べるシーンがある。これはレーニンの麻痺手の評価をしたあと、医師が発するセリフ。意味不明である。ロシア語がわからないおれには真相は謎だが、これにはひっかかる。

レーニンは右片麻痺である。脳血管障害の後遺症には麻痺もあるが、痴呆などの精神障害も伴う場合が多い。
注意力が散漫になる、言語を失う、異常に怒りっぽくなる、うつになる、視覚の失認、なかなか覚醒しない、空間把握能力・構成能力の喪失、すぐ忘れる、麻痺した手足の無視など奇妙で様々な障害が残る。

この視点で行くと、右片麻痺には失語が伴いやすいことはよく知られている。言語中枢が左脳にあるからである。レーニンは最晩年、全く口をきくことができなかったそうである。革命家、政治指導者が言葉を失う、演説ができなくなるというのは最悪のシナリオだろう。失語は文字通り言葉を失う病気。重症になれば筆談もできなくなるし人の言葉を理解することも困難になる。
大衆に語りかけることはもはやできない。

この映画はただ、レーニンが介護を受ける姿を延々みせられるだけである。死ぬほど退屈だし眠い映画だ。画面には緑色のもやがかかり不鮮明である。セリフも少なく、いつも途中で寝てしまう。

だが後半不穏な見せ場がある。ここでおれはだいたい目が覚めるのである。権力を握ったばかりのスターリンが見舞いに来るのだ。


いくら無力化されてるとはいえ、スターリンにとってレーニンは気になる存在だろう。よもや病状が回復してやせんだろうな…そう考えているのかは知らないが、スターリンはどこか神経質で苛立たしげである。レーニンともなんとなく会話が成り立たず、スターリンはすぐに帰ってしまう。これだけなのだが、スターリンの後の大粛清を知ってるなら誰でも、ここが権力闘争の分岐点だったのだと知るだろう。

「道を通るのに邪魔な大木があったら、どうしますか?例えば・・木が朽ちるのを待つ?木を道から片付ける?」
「徹底的に切り刻みます」

レーニンはスターリンの名すら思い出せない。
だが奴が危険なグルジア人で、権力を渡してはいけない相手だったことはなんとなく思い出せた。レーニンは革命の失敗を悟り自暴自棄になる。だがその感情もやがて薄れてゆき…

レーニンがひとりぼっちで見る緑色の森、青い空、流れ行く白い雲…緩慢な意識の中で緩慢に命を失って行く革命指導者の末路。幸福なのか不幸だったのかそれすらよくわからない。

夢を見ているかのような映画である。監督としてはスターリンは嫌いだがレーニンには一定のリスペクトを捧げているように思える。まあレーニンも「良きコミュニストは良きチェーカー」と言ったぐらいで、大衆には無慈悲にテロルを行使した暴君だったと思っていたが…ロシア人民にとってはまだ忘れられない英雄なのかもしれない。

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