>>戦争映画中央評議会

パンズラビリンス

魔法なんて存在しないの!貴方にも私にも誰にも!

 

ビダル大尉度

100

ファンタジー度

100

耽美度

100

総合得点

85


06年スペインなどの合作映画。デビルズバックボーンなどのギレルモ・デル・トロ監督作品。

これは変わり種のファンタジー映画。個人的にすごく好きで泣けるので紹介したい。

舞台は1944年のスペイン。フランコ将軍率いるファシスト政権と社会主義勢力の人民戦線が激しい内戦を繰り広げている。戦争はほぼファシスト側の勝利に終わり、人民戦線は山にこもってゲリラ戦を続けているが風前の灯火だ。

主人公はそんな暗い時代を生きる少女。お父さんは死んじゃってお母さんが新しい男を引っ掛けてきて再婚するという。その相手はスペイン軍の大尉で厳格なファシスト、
ビダル。反乱軍には容赦ない鬼のような軍人だ。お母さんのお腹にはビダルとの子供が既に臨月を迎えている。


ビダル大尉 冷淡なファシストだ


戦争…母の再婚…冷淡なファシスト…極限の孤独…
もはや幼い少女には許容できないほどに現実は暗い。
少女は現実逃避するしかない。元々物語好きで夢見がちなこの少女は、ひたすらに妄想する。自分は魔法の国のお姫様なのだと…いつかここではない何処かに行けるのだと…そう吹き込む幻影の神…幻影が促すいくつかの試練に人知れず挑むオフェリア…果たして夢か幻か、それとも現実なのか…

劇中、オフェリアが精神を病んでいて妄想に囚われているのか、本当にファンタジーで魔法の国が実在しているのか、観客が判断できる要素は少ない。どっちとも取れる。どっちにとっても破綻することなく最後まで見通すことができるのはとても優れた脚本の成せる技である。おれはラストシーンを考えてもどうにもならない恐怖の現実から狂気に逃避する哀れな少女のお話ととらえた。そう考えると本当に悲しく救いのないお話だ。涙なしには見れない。

奇行を繰り返すオフェリアに母親が泣き叫ぶ。
魔法なんか存在しないの!あなたにも!私にも!誰にも!

このシーンをみておれは確信した。この映画の中にさえ、魔法の国など存在していないのだと。
※1

そもそも何故スペイン内戦というマニアックな時代が舞台なのだろうか?戦争とファンタジーのコラボと言うだけで相当変り種なのに。監督のインタビューによれば、ファシズムは魂の死、真の恐怖、大人のおとぎ話にはぴったりの題材だそうだ。

スペイン軍のキチガイファシストとして登場するビダル大尉の極悪さは半端ない。市民など奴隷の様に思っているし敵は容赦なく殺す。疑わしい親子も殴り殺す。息子を殺された老人は泣き叫ぶ。
息子が死んでしまったー!と。泣き叫ぶ老人もルガーP08で簡単に射殺。捕虜はいろんな道具を使って拷問。まさに悪鬼。なんだかソドムの市を思い出すサディストぶり。これほどヤットコが似合うスペイン人もいないだろう。

しかしそのビダルにしても中々人間風に描写しており、毎朝決まった時間にヒゲ剃って靴磨きしてルガーの手入れして、神経質で完璧主義な一面をのぞかせる。そして父から受け継いだ懐中時計を肌身離さず懐に忍ばせており、毎日大事にお手入れしている。産まれてくる息子に(息子と決めつけている)いつか、この時計を渡そうと今から考えている人間的一面も。

最後は生まれた赤ん坊を抱いたままゲリラに投降する大尉。形見の時計を握り締め、「息子に伝えてくれ、父が何時に死んだか・・」
「あなたの名前さえ教えないわ」と応じるゲリラ・・まあ当然の報いですな。あまりに極悪すぎました。

※1 監督のインタビューを読むと↑の解釈は完全な見当違いである。ファンタジーは実在し、最後オフェリアは魔法の国へ行くことができた、ハッピーエンドだというのである。監督が言うんだから間違いあるまい。しかしおれはそれを知っても、何度観てもこの映画は↑のように感じるのである。そういう風にしかみえないのである。ビダルに撃たれ、今際の時が来ても楽しい空想にふけり現実を直視できないかわいそうなオフェリア・・ラストは何度観てもそういう風に見えるのだ・・


ウサギとってただけの親子を殴り殺します。


悲痛に泣き叫ぶ親父も射殺してしまう 悪魔です


ふんふんふ〜ん♪靴を磨く大尉


ルガーP08が大尉の愛用。ドイツ軍の自動拳銃ですよ


拷問器具が似合いすぎです(ToT)


冷血だが・・息子は大事


時計・・!「おれが何時に死んだか息子に伝えてく・・」


「名前さえ教えないわ」ちょっと可哀想だが因果応報だよね



 

 

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