冷戦
−赤い恐怖−





「ソビエト」の誕生

 フランス革命後、欧州では自由に商売する自由主義経済が発達し、資本家が労働者を働かせて利益を得るという資本主義経済が台頭した。このような構図は資本家と労働者の経済的二極化を生み、貧富の差を拡大させ、民衆に不平等に対する不満を募らせた。そんな中、ドイツでカール・マルクスが資本主義に対する批判運動を行いつつ、紆余曲折を経て「資本論」を記す。この「資本論」は恐ろしく簡単に書くと、資本主義の問題点を科学的に解明し、批判をすると共に、労働者による階級闘争の必要性を論じ、社会主義革命の必要性を説いている。共産主義思想の基礎となった。

 1905年、日露戦争中、第一次ロシア革命勃発。これは血の日曜日事件とも呼ばれ、労働者の皇帝への嘆願デモによる弾圧で1000人が殺された。この革命はレーニンが指揮したが、レーニンはその後国外へ逃亡する。この事件の後、帝政ロシアでは少数民族の反乱、農民の暴動が続発。革命の兆しが見え始めた。これに対しロシア政府は、革命をユダヤ人の扇動であるとするデマを流したり、新しい農業改革を行ったり、第一次世界大戦に参戦したりと必死で国民の目をそらそうとしたが、国民の生活はかえって困窮し、ストライキや農民運動が続発した。
 1917年、3月革命が勃発。民衆や農民、労働者は革命中心組織「ソビエト」を結成し、遂に時のロシア皇帝、ニコライ2世を退位に追い込む。4月、レーニンが帰国し、対立する臨時政府を倒し、ソビエト政権を誕生させ、プロレタリア独裁体制を提唱し、社会主義の実現に尽力した。資本家や権力者を追放するまでの闘争において、労働者階級の独裁を訴えたのだった。
 1924年、早くも始まった恐怖政治のさなかレーニンはわずらっていた病が悪化し、脳溢血で死ぬ。後継者はヨシフ・ピサリオノビチ・スターリン、20世紀最大の虐殺者の一人ある。

↑レーニン 優れた革命家であったという


WW2と共産主義
 スターリンは革命で中心的役割(性格には11月革命)を果たした者の1人で、1922年に共産党中央総書記に就任し、レーニンの死後は政敵を次々に追放し独裁体制を強める。農業集団化や重工業化を推進するが失敗して餓死者が続出。反対派を次々に強制収容所に叩き込み2000万人をあの世に送った。この粛清は軍にも及び、兵官将問わず多くが処刑された。これはちょうどナチスのバルバロッサ作戦が始まるころで、ヒトラーが対ソ戦を急いだ理由の一つかもしれない。何せ将軍クラスはほとんど逮捕or処刑である。軍がまともに機能するはずがない。しかし、ソ連は文字通り人海戦術でドイツと戦い、勝利を収めてしまう。人命が石ころ以下の共産圏では、機関銃や戦車で迫るドイツ軍に武器も持たせず総突撃である。それも女、子供問わず、である。しかも逃げるものは味方であろうが何であろうが撃ち殺し、とにかく突撃させる(督戦隊という内務省管轄の特殊部隊がやる)。敵の弾がきれれば勝てる(笑)という理論で2000万人が大戦中に犠牲になった。この数字は桁違いに他国を上回っていて、敗戦国でも首都が陥落したドイツで450万人、東京大空襲、原爆を2発落とされた日本でさえ300万人、ソ連のとてつもなさがわかってもらえれば幸いである。

↑スターリン おそらく20世紀で最もノリノリだったおっさんである


 元々、共産主義は資本主義と敵対する思想であり、資本主義国である米英は何故ソ連と組んで連合軍としたのか?答えはシンプルである。先にヒトラーをぶっ殺そうと思ったからである。ナチスはとにかくほおっておくには強すぎたため、イギリスのチャーチル首相はとりあえずドイツを倒すためアメリカやソ連などの大国を見方に引きずり込みたかった。とりあえず目先の脅威はフランスやポーランドをたった一ヶ月で占領した強すぎるドイツである。チャーチルは「ヒトラーを倒すためなら私は悪魔とでも手を組むだろう」と公言し、ソ連を連合軍に加えた。一方アメリカ大統領ルーズベルトはとにかく嫌日家で、ロシアに勝利し、第一次世界大戦以後めきめき力をつけ、アメリカと利権を争うまでに成長した日本を叩き潰したくて叩き潰したくてしょうがなく、日本が共産帝国ソ連の防壁になるなどとは頭がまわらなかった無能な大統領なのである。周囲からは「日本を倒せば共産主義が世界に広まってしまう」と危ぶむ声があったにもかかわらず無視したおし、真珠湾へ招きいれ、まんまとドイツとも戦争にありついたという策士なのである。

 日本は1925年に対共産を想定した治安維持法を制定し、1937年には日独伊防共協定を締結したように、ソ連にとってはドイツ以上にやっかいで邪魔な存在であった。日ソはノモンハンでも衝突し、満州を巡って長年対立していた宿敵であった。そんな中ドイツがスターリングラードに向かって快進撃を続ける中、日本までシベリアに侵攻してきたらソ連の命運危うしである。よって国際共産主義組織「コミンテルン」(ソ連のスパイ工作機関)は、日本と中国やアメリカを戦争させるようにいたるところに潜伏し、情報操作、工作活動を続けた結果、まんまと日米中はひっかかり仲良く戦争を始めることになる。宿敵の日本とアメリカが戦争を始めれば、ソ連にとってこれ以上愉快なことはない。日本がアメリカと戦争をはじめるやいなや、日本軍牽制のためにシベリアに駐留していた主力親衛戦車軍をスターリングラードにまわし、ドイツに勝利するのである。先の大戦で日本はアメリカや中国以上にソ連にいっぱい食わされてしまったのである…。

↑チャーチル


鉄のカーテン
 共産主義は表向き「みんな平等の平和な理想社会の実現」を目指していたが、これはすなわち「武力で他国を侵略し、世界社会主義ソビエトへの統合を力ずくで成し遂げる」ということにつながり、逆らうものは皆殺しというおまけつきである。歴史や伝統を無視し、人工的な思想で作られた社会であり、矛盾点が簡単に露呈するため、その矛盾点に気づいたものは即殺さねば、簡単に政権が倒れてしまうので虐殺がやめられないのである。
 共産主義者は全世界をソビエトに統合し、世界を一つにすることが夢である。それは何のことはない、武力で世界を征服するというどっかの独裁者サンと何ら変わることはなかったのである…。このようにソビエトへ統合された状態のことを赤化したと呼ぶ。大戦と冷戦中に数多くの国々がソビエトへ統合され、赤化したのである…。共産主義者は「赤い色」を熱心に信仰する特徴があるためこう呼ぶのである。

 さて、このように陰謀に長けたソ連は、ドイツと日本に勝利するやいなやすかさず次の照準をアメリカとイギリスに向ける。イギリスも大戦後期には「次はソ連だ!」はっきり認識していた。一方アメリカは大戦終了直後はまだ共産主義の危険に疎かった。しかし、次第に資本主義陣営と共産主義陣営ははっきり対立し、下図のように分割された。ドイツはベルリンを真っ二つに割ってそれより東は完全に赤化され、チェコやポーランド、ハンガリーなど東欧諸国は完全にソビエトへ統合された。チャーチルはこれを鉄のカーテンと呼んだ。文字通り、厳重に情報が統制された東欧からは少しの情報も入ってこなくなった。極東も、日本の敗戦によって独立した朝鮮半島は、38度線以北は朝鮮民主主義人民共和国が社会主義国家として名乗りをあげ、それ以南は大韓民国として資本主義国が誕生した。中国では終戦と同時に国民党と共産党の内乱が始まり、共産党が勝利し、1949年社会主義国として中華人民共和国が誕生した。完全に赤化した大国としてソ連と共にアメリカと対立した。日本はアメリカに敗戦したため、共産主義に対する不沈空母として有無を言わさず資本主義陣営にまわった。まあ屈辱ではあるが、アカよりは兆倍マシだったと私は思う。日本は敗戦間近の時にソ連が中立条約を破って侵攻して来たため、ソ連にも負けたことになっていた。ドイツのように分割されてもおかしくなかったのだが、戦後処理に金がかかりすぎるためソ連はアメリカ一国に日本を任すことに決めたのだった。これは極めて幸運なことだった。もしソ連とアメリカで分割統治されていたら東日本民主共和国と西日本連邦共和国(国名は適当)が対立していただろう。


↑ハリー・トルーマン 原爆投下を指示した民主党の大統領

冷戦が確立するまでの過程
もともと東西はそこまで激しく対立したわけではなかったが、政体の違いによりお互いに不信感を強めていった。
ソ連は東側を完全に共産化しようとし、アメリカは西側を資本主義化しようとした。このことからお互いがお互いを疎ましく思うようになっていく。
ソ連が厳格な社会主義体制を推し進めて、かつてのナチスの占領地をどんどん赤化していくと、アメリカは共産主義の膨張の危険性にようやくきづき、時の大統領トルーマンが「封じ込め政策」と称して、トルコやギリシャなどの赤化の危険にさらされていた国家に援助を行い(トルーマン・ドクトリン)、ソ連の膨張を防ごうとした。さらに「マーシャルプラン」と称して、大戦でボロボロになった欧州各国を経済的に支援する。この過程でドルが力を増していった。そして西側諸国は分割統治されていたドイツに新国家を作ろうとした。
これに対し、1948年4月スターリンは激怒し、西ベルリンの陸路を完全に封鎖(ベルリン封鎖)、緊張が高まる。西側諸国は空輸で西ベルリンに物資を投下し難を防いだ。スターリンは封鎖の失敗を悟り、1949年5月、封鎖を解除した。そしてこの年、西側にドイツ連邦共和国、東側にドイツ民主共和国が成立する。
ソ連はマーシャルプランに対抗するためコメコンを結成し、東側諸国の経済的な結びつきを強化、そして1943年に解体したコミンテルンに代わる東側諜報機関の統一を目指してソ連・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・ポーランド・チェコスロヴァキア・ユーゴスラヴィア・フランス・イタリアの9カ国の共産党・労働者党がポーランドで会議を開き,コミンフォルムの結成を決議した。

1953年になると共和党のアイゼンハワーがアメリカ大統領に就任し、ダレス国務長官はより強硬な共産主義に対する対決姿勢を表明した(巻き返し政策)。しかしソ連はこの年に独裁者スターリンが死亡し、共産党第1書記のフルシチョフが平和共存を提案して、1956年にはスターリンを批判する刊行物を許可してコミンフォルムも解散させた。さらに日本と国交を正常化。
このため、アメリカも共存策に移行して雪解けが始まる。しかし、ほかの東欧諸国や北朝鮮や中国などの厳格な共産国に「灰色分子」として反感を買うきっかけになった。
しかし、その流れでハンガリーのブタペストで民主化運動が起こり、首相が一党独裁の廃止を決めた。これに対しソ連軍が介入、ハンガリー首相を処刑し、ハンガリーを共産国にもどした(ハンガリー動乱)。
また1957年には世界初の人工衛星「スプートニク」が発射され(スプートニクショック)、アメリカは初めて核兵器の危険に直接さらされることとなった。
(人工衛星は大陸間弾道ミサイルの基礎になる 宇宙に打ち上げられるということは地球上のどこにでも原爆を落とせることを意味する)
1960年にはアメリカ無人偵察機U2がソ連軍に撃墜され、雪解けはあっという間に終わった。

↑フルシチョフ スターリン批判を許可し、西側と共存しようとしたが東側から裏切り者と批判された


 ソビエト、東欧諸国はワルシャワ条約機構を結び、社会主義国家同士の団結を図り、これに対して資本主義陣営は北大西洋条約機構を結び(はっきり言って遅い日独防共協定のようなものである)、1961年に構築されたベルリンの壁に象徴される冷戦構造は完全に出来上がった。両国は核実験をしたりして緊張を高めていく。

毛沢東
 中華人民共和国は建国以来、毛沢東が社会主義体制の確立を本格化し、独裁体制が築かれる。「大躍進」と称した重工業化と農業集団化を推し進める中でスターリンと同じくまた大失敗、約3000万人が餓死する。そしてまたしてもスターリン同様逆ギレして粛清の嵐が吹き荒れ、約4000万人が虐殺される。これを文化大革命という。これは毛沢東が死ぬまで10年間続き、陰湿な密国制度と秘密警察の暗躍で中国では今でもこの文革の人間不信の名残が残っている。毛沢東はスターリンと並ぶ20世紀最大の虐殺者であった。
また毛沢東は、陸海空軍の強化より何より核兵器を持とうとし、実際ソ連の援助で手にしてしまう。

朝鮮戦争
 1950年、北朝鮮が北緯38度線を突破し、ソウルへ進撃を開始。一時期朝鮮半島の9割まで赤化したが、危機感を募らせた米軍の介入で逆に押し戻され、更に100万の中国義勇軍の助太刀でまたしても押し戻され…ということを繰り返して1953年に結局引き分け、休戦条約を結ぶ。この赤い恐怖は日本に駐留する米極東軍を朝鮮半島に出張らせることになり、その間、日本防衛軍として日本人による警察予備隊が結成され、自衛隊の基礎となった。朝鮮分断は未だ続き、北朝鮮は世界に迷惑をかけるだけかけまくって未だ現体制を保持している。

 日本は朝鮮戦争の間、米軍による兵器修理や鉄鋼の注文が殺到したため、軍需産業が盛んになり、がっぽがっぽ儲けた。朝鮮戦争さまさまである。不謹慎だが、事実だからしょうがない。敗戦の荒廃の中、途方にくれていた民衆を力づける一因となったのである。

キューバ危機
 キューバはアメリカのすぐ下にあるが、アメリカが大嫌いな国である。日本と朝鮮、中国が仲が悪いように、キューバとアメリカも大変歴史上仲が悪いのである。こうした歴史背景を持っているキューバが、米国主導の資本主義陣営に入るわけがなく、59年、フィデル・カストロの革命政府が樹立し、冷戦再燃期を境に急速にソ連に接近する。キューバとソ連は武器援助協定を締結し、アメリカはキューバに経済制裁を断行。完全禁輸措置をとる。
 一方キューバは「漁船」の名目でソ連の物資船を積極的に受け入れ、ミサイルを搭載したソ連艦船を向かわせ、ミサイル基地の建設に着手する。キューバにミサイル基地ができればワシントン、ニューヨークまでを射程におさめることになり、アメリカは大ピンチである。時の米大統領ケネディは、すぐにでも空爆しようという強硬派を抑え海上封鎖を敢行し、ソ連船を拿捕しようとする。しかし抵抗を受ければその場で米ソ開戦の超危機である。冷戦はここに極まった!
 ケネディとフルシチョフは水面下で開戦回避に尽力、アメリカはキューバ不侵攻を約束し、ソ連はミサイル基地を撤去した。人類史上最大の危機であったキューバ危機はこうして回避された。

↑アメリカ軍のビキニ礁での水爆実験 ゴジラのお母さんデス

ベトナム戦争
 日本の敗戦後ベトナムは独立戦争が勃発し、9年間フランスと戦う(インドシナ戦争)。この戦争に米国が介入すると、まけじと中ソも介入、典型的な分断国家となってしまう。北ベトナム(ベトナム民主共和国)は、南ベトナム解放戦線を組織し、南ベトナムへ侵攻し、べトナム戦争が始まる。南ベトナム(ベトナム共和国)は世界最強のアメリカ軍の援助を受け、北と戦う。一方北は草履に笠に民族衣装にAK47というスタイルで、密林を利用した徹底したゲリラ戦を展開。密林による空爆の無力化により米軍は大苦戦を強いられる。米軍は枯葉剤を撒き散らし、韓国軍は虐殺を繰り返し、資本主義陣営の悪行が目立ち、国際的にもアメリカ批判が高まる。15年にも及んだこの戦争で南ベトナム政府は陥落し、ベトナムは完全に赤化する。アメリカは54万もの地上軍を派遣したにもかかわらず73年に撤退。1975年、ベトナム社会主義共和国が建国された。

冷戦終結
 ベトナム戦争中、東欧諸国のソ連離れはますます強まり、自主路線を打ち出す国も多くなってきた。1971年には米中が急速接近。78年には日中友好条約が結ばれた。85年にはミハイル・ゴルバチョフがペレストロイカを打ち出し独裁体制、従来の妄信的社会主義の批判を強めた。このことは東欧諸国のソ連離れを決定的なものとし、89年にはドイツのベルリンの壁が崩壊し、次々に東欧は民主化を達成。ゴルバチョフはソ連大統領を辞任し、ソ連邦は解体する。

おわりに
 1989年中国でも民主化運動が激化しました。しかし、中国共産党は東欧諸国のように甘くはなく、暴動鎮圧のために人民解放軍(中国軍)が出動し、民間人2000名が戦車に踏み殺されるなどして虐殺されました(天安門事件)。
 北朝鮮ではキム親子の厳しい独裁体制が依然続き、日本と睨みあっています。
 共産主義は恐るべき思想です。個人が国家をその手にし、権力を増大させ、それを「プロレタリアート独裁」とうそぶく彼らの思想は欺瞞に満ちています。実際共産主義がどうだこうだとかは彼ら権力者にはどうでもよいのです。民衆をまとめ上げるお題目に思想を利用しているだけの話です。実際ソヴェトがやってきたことなど歴史上の侵略国家となんら変わりはないのです。特にナチと似ています。思想を輸出することによって内部から切り崩して行き、目的のためならば武力は崇高な手段となる。そして自らに屈した国は属国としていいように利用されるのですから、な〜〜んも変わりません。彼らが反帝国主義とかいっているのは人類最大の喜劇です。やってることはナチと全く変わりはしないのです。唯一特色があるのはその「平等性」でしょうか。経済も人種も政治も何もかも平等にすること。これは実は多民族国家を統率することには有効な方法です。旧ユーゴスラヴィア、中国、ソ連、いずれも多民族国家ですが、共産党の恐怖政治がなくなった途端にカオスと化して崩壊してしまいます。

 中国は一国二制度などと称し、経済だけ見ればもはや資本主義です。しかし依然共産党の独裁体制が続いています。経済が自由化されることは民主化の第一歩であり、民主化の扉はもうすぐ開きかかっているのですが、それをさせると共産党の権力政治は終焉を向かえ、中国はカオスに陥ります。そうならないために今必死で「愛国者教育」を行って反日ナショナリズムで民衆をまとめようとしているのです。共産主義が駄目になったら今度は民族意識で国民をまとめようとしている中国の姿は、やはり共産主義も民族主義も紙一重であることをよく示しています。ようするに共産党が権力を手放さなければ後はどうでもいいのです。社会主義だろうがナチズムだろうが権力さえ手中にあればそれでいい。今最もナチに近い国は中国共産党でなのではないかとおれは思います。彼らは「中国4000年」という過去の憧憬を理由に自らを優秀だと思い込んでいます。そして異民族を差別し、敵視し、その敵対感情で国を盛り上げています。そして中国による中国人民の為のプロパガンダに日本人が騙されてはいけません。彼らの言う「残虐な日本人」は100パーセント誇張か嘘だと思って間違いありません。それぐらいのことはするし、できる国なのです。そうしないと国がまとまらないのですから彼らも必死です。中国共産党が今最も恐れているのはアメリカでも日本でもなく10億人以上の中国人民だということ、ナチの宣伝相ゲッベルス博士がズデーテン地方のドイツ人がチェコ軍に虐殺されているというプロパガンダを使って、チェコ人を悪玉にしたて、武力併合を正当化したこととあわせて是非覚えておいていただきたいものです。


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