フォークランド紛争

近代国家たる英国とアルゼンチンが南米の最南端、フォークランド諸島を巡って争った短期間の戦争のことを言う。
1982年4月2日、アルゼンチン軍がフォークランド諸島へ侵攻。イギリス、サッチャー政権は毅然たる武力対決を決定し、即時フォークランド近海を戦闘地点として封鎖した。

この紛争はイギリスが世界帝国であったころからの領土問題がいまだ解決していないことから起こったものである。
まず、このフォークランドを誰が始めに見つけたのか、ということから話が始まる。諸説あって、1600年にオランダ人が発見したという説と1502年にアメリゴ・ベスピッチが発見したという説がある。アルゼンチンは後者を支持し、イギリスは1592年にイギリス人が見つけたと主張する。この領土問題は19世紀にイギリス艦隊が実力で島を奪い取ってからは沈静化し、世界がWW1、WW2に突入するとほとんど忘れ去られた問題となった。実際、諸説あるものの島を誰が見つけたのかは全くわかっていない。

大戦終結後、アルゼンチンが国連を通してこの領土紛争の平和的解決を迫った。イギリスは戦略的にも大して意義を持たぬこの島を維持する意味もなかったので、条件付で主権委譲するような譲歩案をだした。アルゼンチンはその条件が気に食わず、無条件の主権以上を主張し、両者の主張は平行線をたどった。

この膠着状態を一変させたのが、両国の政権交代であった。
1981年、アルゼンチンは陸軍司令官のレオポルド・ガルチェリが大統領に就任し、イギリスでは超タカ派「鉄の女」、マーガレット・サッチャーが首相に就任した。

ガルチェリは軍事政権を樹立し、フォークランド諸島を奪回することに血道を注いだ。
一方、サッチャーはあっさり条件付委譲を撤回してしまった。

この外交的行き詰まりから、ガルチェリ政権は、1982年3月に最後通牒を突きつけ宣戦布告、4月には侵攻する。アルゼンチン海軍は空母「ヴィンテシンコ・デ・マヨ」、駆逐艦、巡洋艦7隻、兵員5000名によって一瞬にしてフォークランド諸島を占領した。

これは、イギリス海軍のVTOL機や原子力潜水艦を初めて実戦に投入した戦争となった。英海軍はこの他、空母「ハーミス」「インビンシブル」を引き連れた40隻にも及ぶ大機動部隊を派遣した。

この激しい戦闘によって両軍ともに数百名の死傷者を出したが、原子力潜水艦の威力の前にアルゼンチン海軍は敗退を余儀なくされ、6月14日、降伏した。

この戦争は冷戦真っ只中に行われた西側陣営同士の戦争であったという点で特筆に価する。

それにこれは我が国における尖閣諸島問題によく似た紛争であるように思える。歴史的認識の違いがいずれ戦争になるという好例である。



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