ユーゴスラヴィア紛争

ユーゴスラヴィア紛争は数ある民族紛争の中でも群を抜いて複雑でややこしい背景を持っている。


さて、紛争の概要を語る前にこのユーゴスラビアという国を説明しなければならない。
旧ユーゴは7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家と呼ばれた。しかしこんな複雑な国であった旧ユーゴ連邦は90年代前半に、一連の内戦を経て以下の5つの国家に分裂した。

スロヴェニア共和国
面積:2.0万平方キロメートル
人口:約200万人
言語:スロベニア語、セルビア語、クロアチア語
民族:スロベニア人90パーセント、その他
宗教:カトリック

クロアチア共和国
面積:5.7万平方キロメートル
人口:約450万人
言語:クロアチア語語、セルビア語
民族:クロアチア人人90パーセント、セルビア人約10パーセント
宗教:カトリック75、セルビア正教25パーセント

マケドニア旧ユーゴスラヴィア共和国
面積:2.6万平方キロメートル
人口:約200万人
言語:マケドニア語、アルバニア語
民族:マケドニア人65パーセント、アルバニア人23パーセント他
宗教:マケドニア正教、イスラム教

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
面積:5.1万平方キロメートル
人口:約370万人
言語:セルビア語、クロアチア語
民族:ムスリム人約45、セルビア人31、クロアチア人17パーセント
宗教:イスラム教、セルビア正教、カトリック

ユーゴスラヴィア連邦共和国
面積:10.2万平方キロメートル
人口:約1000万人
言語:セルビア語、アルバニア語
民族:セルビア人約60パーセント、アルバニア人約20パーセント、その他
宗教:イスラム教、セルビア正教、カトリック

 である。

↑の構図は現在のユーゴスラヴィアの状態である。正確にはユーゴスラヴィアとは言えず、旧ユーゴと表現すべきだが・・・。「旧ユーゴ」の中に「新ユーゴ」があったり、「ボスニア・ヘルツェゴビナ」の中に「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」があったりするのでもうややこしさと来たら半端ではない。しかしそこを理解できればぐっとわかりやすくなる。

 (旧)ユーゴスラヴィア連邦社会主義共和国はナチス崩壊後にパルチザンの英雄チトーのカリスマ性によって統合された。元来、各小共和国は民族も宗教も言語も雑多で、このような多民族国家は世界でも珍しい。異民族同士が平和に共存するなどということは非常に難しいことである。ユーゴはひとえにチトーのカリスマ性によって秩序が保たれていた。ナチス時代にはファシスト政党「ウスタシャ」率いる「クロアチア独立国」がドイツの傀儡国家としてユーゴの支配権を部分的に許されていた。ウスタシャはナチも真っ青の虐殺をセルビア人に対して行った。ナチ以前の時代にはセルビア人がクロアチア人を弾圧していたので、復讐とばかりに自ずと苛烈に陰惨になった。この民族的な確執が後の紛争に尾を引いている。ナチ時代が終わるとセルビア人が力を盛り返し、チトー率いる共産主義政権が独裁統治を行うこととなった。以下にたびたび登場するユーゴ連邦軍やユーゴ政府というのはだいたいセルビア人勢力であることを意味することに注意。

スロヴェニア 素晴らしき独立戦争
東欧諸国が次々と民主化していき、社会主義政権の正当性が失われつつあったこのころ、スロベニアは1991年6月、ユーゴとの連邦を廃止して独立することを宣言、綿密に計画が施されていたため、ユーゴ連邦軍との戦闘を10日間で圧勝(10日間戦争)、この素晴らしき短期間の勝利と、民族比率が90パーセント以上スロヴェニア人だったので比較的あっさりとスロヴェニアは独立を果たす。

マケドニア 比較的素晴らしき独立戦争
1991年9月、スロヴェニアが独立を果たした直後、独立を宣言、92年にはユーゴ連邦軍を打ち負かし、スロヴェニア同様、美しく独立したかに思われた。しかし、民族問題が解決できていなかったため、2001年にアルバニア人との内戦が勃発、首都に危険が及ぶまでに追い詰められ、今度はアルバニア人「民族解放軍」の攻勢の前に国連を介してようやく停戦、アルバニア語を公用語と定めたり立場を向上させてようやく治安が安定しつつある。
豆知識:マケドニアという名称は歴史的な背景からギリシャの反発を受け、経済封鎖までされるほど大問題となった。よってマケドニア旧ユーゴスラヴィア共和国という長たらしい名前になったのである。

クロアチア 最悪の独立戦争
1991年末、クロアチアも独立戦争を開始する。クロアチアはナチ時代にクロアチア独立国となった過去がある。右派政党のクロアチア民主同盟がクロアチア人による純血国家の成立とユーゴからの独立を決定する。これはウスタシャに酷似した動きであった。この動きに10パーセント程度のセルビア人は反発して、独自に警備隊を作り、セルビア人差別政策が始まると、クロアチア警察軍と頻繁に武力衝突が起きるようになる。少数のセルビア人をユーゴ連邦は支援し、ユーゴ連邦軍は軍事的にクロアチア軍に勝利し、独立は断たれたかに思われた。しかし調停に入ったEC(欧州共同体)のドイツがクロアチアの独立を勝手に承認してしまっため、セルビア人側は大反発、紛争は再度激化した。1991年12月には「クライナ・セルビア人共和国」を宣言し、内戦へと発展する。ECは何度も調停を試みたが双方の確執は恐ろしく深く、クロアチア軍は何度もセルビア人自治区に攻勢をかけ略奪、暴行、虐殺は凄惨を極めた。セルビア人口は激減、自治区は全て軍事制圧され、1995年内戦は未来へ禍根を残す形で終結した。

ボスニア紛争 史上稀に見る泥沼の独立戦争
ボスニアもマケドニアやスロヴェニアの独立に触発され住民投票によって独立を決定した。しかしこの住民投票はセルビア人はボイコットしていた。ユーゴ政府がセルビアよりなのでセルビア人は独立したくないのである。これはクロアチアでも同じであった。このボスニアの独立決定にユーゴ軍が介入し、ボスニアの7割までもが制圧されたが、後にクロアチアとムスリムが連携して盛り返し、盛り返すと今度はこの2勢力も仲違い、泥沼の三つ巴の内戦へと発展する。この間に過酷な民族浄化が横行し、この事態を重く見た国連がセルビア側に停戦を持ちかけるがセルビアがこれを拒否したため、NATOはボスニアを空爆した。この空爆によって力を落としたセルビアは、ボスニアを2分割する和平案に合意(デイトン合意)、ムスリム人、クロアチア人の「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦」とセルビア人による「セルビア人共和国」という2つの自治国家が連携して「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」という主権国家が成立することとあいなった。現在では割と非民族主義的な政権が統治しており、治安は安定しているそうである。


コソヴォ紛争 史上稀に見る泥沼の独立戦争
 コソヴォは新ユーゴスラヴィア連邦の中のセルビア共和国の中にある自治区である。コソヴォはチトー政権下では大幅な自治権が認められていたが、チトーの死後、経済的不満が高まるにつれて共和国への昇格が求められてきた。しかし、1989年、当時セルビア共和国幹部会議長のミロシェビッチがコソヴォの自治権を最小限に縮小。アルバニア人への差別政策が始まる。
 コソヴォにはアルバニア人とセルビア人が9:1の割合で生活している。セルビア人にとってコソヴォはセルビア正教会発祥の地であり、重要な土地である。一方アルバニア人にとっても6世紀以前から先祖伝来の土地がコソヴォだった。両民族はお互いがコソヴォの盟主であると主張する。
 1991年にスロヴェニア、マケドニア、クロアチアが独立し、これに触発されたコソヴォも共和国への昇格を求めたが連邦政府はこれを拒否した。
 1997年、コソヴォでは穏健派が退けられ、アルバニア人によってコソヴォ解放軍(KLA)が組織され、民衆の支持を集めた。KLAの資金源はお隣のアルバニアや欧州のアルバニア人たちだった。KLAとセルビアの治安維持部隊は数回に渡り武力衝突を行い、双方に甚大な被害が出た。これに対し、国連安保理は和平交渉もお膳立てをするが新ユーゴ連邦側が拒否したため決裂、99年3月北大西洋条約機構(NATO)は平和のためにユーゴの空爆をはじめた。6月、ミロシェビッチは和平受け入れを受諾、NATO軍も撤退することとなる。
 和平後は国連軍が常駐し、新自治政府の樹立を目指して活動を続けている。この和平の結果、アルバニア人が強大な権力を握ることとなり、セルビア人にとっては不本意な結果となった。

民族浄化について
各紛争で恐るべき虐殺や集団レイプなど、いわゆる民族浄化が横行し、主にその悪役としてセルビア人のみが挙げられているが、これは西側によるプロパガンダで、各勢力おなじぐらいとんでもないことをしていた実態が最近になってわかった。この辺は映画「ボスニア」や「ノーマンズランド」がお勉強にちょうどいい映画でお勧めである。メディアや国連が憎しみを単純に煽り、紛争を余計激化させたと批判された。


女性は子供を生み、その子供は将来育って兵士となる。この論理で女性や子供こそ民族浄化のターゲットになり、多数が虐殺された

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