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大衆とは
ロシアのボルシェヴィズム、イタリアのファシズム、ドイツのナチズムは
一握りの指導者が数多の国民を動員して遂行した巨大な大衆運動の良い例である。ボルシェビキの指導者であったレーニンや、ファシストの総帥であるムッソリーニ、ナチス総統ヒトラーは、超人的なカリスマ性と演説技術、完璧に練りこまれた演出、宣伝方法を動員し、国家をその手に握った。特にムッソリーニ、レーニンが戦闘的武装集団による暴力的な手段で政権を奪取したのに対して、アドルフ・ヒトラー率いるナチは、党宣伝部長ヨーゼフ・ゲッベルスをはじめとして、宣伝、大衆動員法を知り尽くした者たちによって、選挙で合法的に政権を獲得したのである。これらの少数のエリートによっていかに大衆が操作されやすく、また簡単に大衆が操作されうるかということを実証した歴史的にも忌まわしい事件であった。

左 ムッソリーニ
右 ヒトラー
ゲッベルス レーニン


では「大衆」とは何なのか。スペインの哲学者ホセ・オルテガによれば大衆とは「無個性で周囲の人間と同じだと感じ、しかもそれを苦痛に感じない、むしろ満足感を覚える全ての人々のこと」である。日本には「出る杭は打たれる」ということわざがあるが、周囲と同化することは社会的な存在として人間には必要なことである。すなわち、オルテガは
大衆とは凡庸なる平凡人だといっていると解釈して問題ない(若田、1995年)。

大衆という存在がスポットを浴びるようになったのは、情報通信手段が飛躍的に発達した産業革命以降のことである。大衆は近現代の申し子であり、現代は大衆の時代であるといえる。
大衆は、「産業革命以降、伝統的な政治的、宗教的枠組みが崩れ、家族、近所付き合い、農村の横のつながりに亀裂が生じたことによって発生した。自分たちの土地や故郷から引き離された人々は、都市という不安定な世界に目を向けざるをえなくなり、集団の中にうずもれていく。伝統慣習社会とは違って現代は、市場にお互い何の絆もない無名の個人を多数作り出した」のである(セルジュ・モスコビッシ)。

大衆の最大の特徴はその画一性である。産業革命以降出現したメディアによって、我々は常に画一的な情報に晒されている。大量生産された画一的な食べ物を食べ、画一的な住居に住まい、画一的な就業規則に縛られている。そして音楽や映画、スポーツにいたるまで、メディアから流されるおびただしい画一的情報に影響を受けざるを得ない。このような画一的な社会で生きる以上、我々の行動も画一的になるのはやむをえないと言える。そしてそれは社会性を保持するという意味で必要なことなのである。

大衆が個性的になることはない。よく売れてない音楽やマイナーな映画をよく観るからと言って「おれって個性的ジャン?」みたいな人がいるが、そのような「個性」も画一的情報の一部に過ぎない。そのような「個性」は釈迦の手の上の孫悟空のようなものである。大衆は大衆であることから逃れることはできない。山にでもこもらない限り。
そして
人間は無意識に他人と違うことを恐れる。大衆は周囲と同じような服を着、同じような音楽を聴き、同じような情報を共有し、同じような価値観に影響され、周囲と同じ規範を守ろうとする。人間が社会的存在である以上、このことから逃れることはできない。昨今は個性が重視され、無個性を軽蔑する風潮がある。そしてそのような風潮もメディアが煽ったものであり、よくロックミュージシャンが無個性を批判する歌詞を書いているのを見かけるが全く持って滑稽なことである。現代社会において個性的、非凡であることはきわめて難しいのだ。

大衆とは何故周囲と同じような行動をとり、時には同化さえしてしまおうとするのか。それは明らかに
孤独からくる不安によるものである。人は孤独を最も恐れる。産業革命以降、農村の社会的絆から解放された人々はいわば根無し草のような存在となった。連帯すべき仲間、従うべきルール、秩序を失った。都市の中では雑踏に埋もれていたとしても、連帯感、従うべき秩序を得ることはない。現代の大衆は自由を得るかわりに伝統的価値観、秩序、しきたりを失ったのである。このことは孤独をもたらす。このような孤独が他人に同調しようという行動を産む。同調することによって孤独を緩和しようとするのである。

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大衆は権力を好む
フランスの社会学者ギュスターヴ・ル・ボンはこう言った。「
大衆は弱い権力には常に反抗しようとするが、強い権力には卑屈に屈服する」 大衆は性質として権力を好み、このことはナチズムやファシズムと結びつけて論じられてきた。しかし、これはイタリアとドイツ固有の傾向ではない。現代の大衆にも当てはまることなのである。ここでの権力を好むこととは権力者に対する服従はもちろん、目に見えぬ因習、多数派に対する同調などの「匿名の権力」も含まれている。
脆弱な自我しか持たぬ人間は、自らの力で考え、判断し、決定し、行動するという自主性を欠いている。常に自分以外の何かに頼ろうとする(人とは限らない)。外部の大きな何者かによりかかろうとする。これを
権威主義という。大衆は権威主義的なのである。
現代人は孤独でありそのことに不安を感じている。常に外部の力に抱かれたいと思っているし、
強力な指導者を待ち望んでいる。こうして大衆は簡単に他人の指示に従う、暗示にかかりやすい自動人間となるのである。このことはヒトラーが「わが闘争」の中で言ったが、ル・ボンの受け売りであると考えられる。

ル・ボンの著作
「群集心理」はムッソリーニやレーニンも大衆動員の手段として引用した(若田、1995年)。彼ら大衆運動のリーダーたちは、大衆や群集の性質、すなわち、@暗示にかかりやすいA衝動や感情に駆られて行動するB外部からその行動を操作することが容易である、ということを熟知していた。ル・ボンから学んだのである。レーニンは1895年、フランスに亡命中にル・ボンの「群集心理」に出会ったと推測されている。レーニンはプロレタリアートの間に戦闘的マルクス主義を広めようとする方法的戦略でル・ボンから多くを学んだ。例えばレーニンは大衆の心を捉え、大衆を動かすために、思想を凝縮して単純化し、単純で扇動的なスローガンで大衆を動員しようとしたが、この方法は明らかにル・ボンの議論に基づいている。(藤竹) ル・ボンの研究を実行に移した革命家はレーニンが初であった。

また、ムッソリーニは明らかにル・ボンとの関係が深いことがわかっている。ムッソリーニ自身が、彼にとって最も重要な書物が「群集心理」だったと証言しているのである。(藤竹) ル・ボンも大衆運動のリーダーとしてムッソリーニを高く評価し、自分の署名入りの著書をムッソリーニに送ったし、ムッソリーニも彼を賞賛していた。ムッソリーニは全体主義という言葉を使ったが、その意味は個人が国家という集合体に完全に埋没している状態のことで、これはル・ボンのいった「群集」によく似た状態である。また彼はこうも言った。「
民主主義は人間が理性ではなく感情によって導かれることをわかっていない。我々ファシストは感情の水源を引き出す...」

またヒトラーもミュンヘン一揆に失敗した後、ランツベルク拘置所で「わが闘争」を口述筆記したが、その中でル・ボンの大衆理解に基づいたと思われる、大衆動員法の戦略について信念を繰り広げている。たとえば、
大衆は感情に動かされること、暗示にかかりやすいこと、集合体の意志に盲目的に従うこと、大衆が単純化と断定を好むこと、大衆は強権的な指導者を待ち望んでいることを主張したが、これは「群集心理」の中でル・ボンが述べていることと全く同じである。
レーニン、ムッソリーニ、ヒトラーは政治的意向こそ違えど、大衆動員という方法においてほぼ同じであった。

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大衆は模倣する
ガブリエル・タルドによると、大衆は模倣する。
大衆は模倣することによって周囲と一体感を感じ、孤独を緩和する
人はしばしば意図せずに無意識に他人の考えや行動を受け入れ、同じ考えを持ったり行動するようになる。これをタルドは
非論理的模倣と呼んだ。このような模倣を感染と呼んだり、暗示と呼んだりする。
大衆の時代に、我々は会ったこともない人物の模倣をすることができるようになった。マス・メディアの力である。大勢の見も知らぬ仲間の存在を想像することによって、暗示の効果はいっそう強められ、無意識的な模倣はより確実に行われるようになる。こうしておびただしい数の大衆が共通の信念や行動によって動かされるようになる。感染と呼ぶのがふさわしいかもしれない。
こうして大衆運動は起こる大衆は雪だるま式に周囲を巻き込んで力を増幅させていく。常に他者との連携を求めている大衆は易々とこの運動から発せられるエネルギーに圧倒される。このような現象は「バンドワゴン現象」と呼ばれる。大勢の人々の流れから取り残されること、みんなが乗り込んでいくバスに乗り遅れることはしばしば耐えがたい苦痛を伴う。昭和初期の日本において、「バスに乗り遅れるな」という、全体主義へといざなうスローガンが流行したことを思い出して欲しい。

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メディアの力

その1 新聞
最初に出現したマスメディアは新聞だった。19世紀後半、印刷技術の躍進と共に、新聞の発行部数は飛躍的に伸び、瞬く間に大衆の間に浸透していった。
新聞の普及によって現れた最初の大衆運動の例をフランスに見ることができる。
1880年代に起こったブーランジェ将軍事件である。
背が高く金髪で青い目の、絵になる男であった。
陸軍士官学校出のエリートで、数々の武勲を打ち立てた男で、彼が国防大臣に就任してから人気は絶頂になった。彼は当時のフランスの民族主義的感情のシンボルとなって国民的人気を一身に集めた。彼はそれにぴったりの美貌と個人的経歴を持っていたのだ。
彼はフランスのアイドルとなった。彼の個人崇拝者は激増し、それを煽ったのは明らかに新聞と政治団体、政党が発行するビラやポスターの類だった。将軍の経歴を記したビラが飛ぶように売れ、将軍に関連したファングッズや歌が人気を博した。
ブーランジェ将軍は突如として自殺したのでこのブームも突如として終わったが、実に興味深い事件である。
明らかに現代のアイドル熱や政治的指導者にもあてはまることではないだろうか。
この現象は
強力な、或いは強力に見える指導者の存在を追い求め、進んで服従し、夢を託し、それと一体化しようとする大衆の性質を強烈に印象付けたのである。

その後1890年代にはドレイフェス事件が起こる。これは国防省で働くドレイフェス大尉が、敵国プロシアに機密文書を売ったとかで、彼を有罪か無罪かという観点で国論が2分されたという事件である。しかし、実際はこの事件は捏造であった。が、大尉がユダヤ人であったために、排外的な民族主義的レトリックで、有罪派が減ることはなかった。無罪派は論理的に大尉の無実を証明しようとしたが、有罪派が理屈抜きで、「祖国を裏切ったユダヤ人」という構図で感情的に大衆に訴えかけるような論陣を張ったためである。民族主義、排外主義のプロパガンダにかかり、有罪を大合唱した大衆の姿は今日なお、我々に問題を提起するものがある。明らかに大衆を動かすのは事実ではない。ナチの宣伝部長ゲッベルスは「
嘘も100回繰り返せば本当になる」と言ったが、大衆の内に潜む、欲求不満や憎しみという感情に訴えかけ、その手段として排外主義や人種偏見のレトリックを用いることこそ、大衆を動かす有効な方法であった。政治指導者たち、知識人たちはドレイフェス事件からそのことを学んだ。

また、ドイツで、この大衆の性質をはじめに利用しようとした政治団体があった。フェルディナント・ラサールによって創設された、全ドイツ労働者協会、後のドイツ社会民主党(SPD)である。SPDは100万人の党員を要する大政党になったが、彼らが
大衆を動員する手段として用いたのが、新聞、ビラ、大衆集会であった。こうした扇動方法を実践したという意味で、ラサールはレーニンやヒトラーの先駆的存在である。彼は、大衆の感情に訴えかける演説をぶつことで特徴があった。SPDは労働者にマルクス主義を宣伝し、彼らを動員するために全国、地方新聞を利用した。雑誌、時には漫画雑誌まで大きな力としたのである。

この手法はボルシェビキの指導者であるニコライ・レーニンに受け継がれた。レーニンも新聞や雑誌を多数発行して大衆を動員しようとした。またレーニンは感情的に訴えかけるという手法も忘れなかった。むしろ、
理性に訴えかけても理解できるのは一部のみ、大部分の無学な無教養者を動員させるためには周囲の無意識的模倣を起こさせればよいと知っていた。そうして理性よりも情緒的なアピールに血道を注いだのである。レーニンはル・ボンの群集心理学を熟知していたので、こうした方法をとることができたのである。ル・ボンはこう言っている。「大衆は理性で思想を採用することはない。大衆は感情で思想を採用する。また、単純化された思想は模倣しやすく簡単に骨肉の一部となる


その2 ラジオ
ww1後の世の中で新しい伝達手段として誕生したのがラジオである。ドイツでは1923年に放送を開始し、瞬く間に聴取者が増加した。重要なメディアとして、国家はいかにしてラジオを手中にするかが重要な問題となり、1926年地方の放送局は「全国ラジオ会社」に統合されて国家のコントロール下におかれた。1929年の世界恐慌を背景にしてナチが躍進し、第1党となるとラジオのあり方も変わった。国家はラジオの放送要綱をより国粋主義的なものとし、これにそぐわないディレクターを次々解任、ナチへ移行する準備運動がはじまった。解任されたディレクターの代わりにナチ(特にゲッベルス)と関係の深い人物がすえられ、
国家を手中にする以前からナチはラジオをその手に握っていたのである。

政権獲得後もナチはラジオをプロパガンダに活用しまくった。
その要となったのは言うまでもなくヨーゼフ・ゲッベルスである。ゲッベルスはこう言っている。「我々はあらゆる手段を動員する 金はあるしラジオは我々のものだ ヒトラーの演説は全放送局で流される 私はそのルポルタージュをする
ゲッベルスはラジオで国民を扇動する方法を考え続け、そのために新しい省までつくった。番組スタッフを粛清し、番組をナチ化した。例えば
全放送局は毎日19時〜20時に番組「国民の時間」というシリーズを放送した。これは政策的理由からの義務として受け入れられた。ナチは数多くの祝日を設定し、その都度特別番組を放送、突撃隊の行進や果てしない演説を中継した。時には17時間も祭典の中継や関連番組を放送した。
放送内容は我々が聴くと寒気を覚えるようなものも多かった。例えば突撃隊や保安警察が共産党残党の本部を強制捜査する様子を生中継するような排外主義的、民族主義的な番組も多かったといわれる。

ゲッベルスは国民全てにラジオの聴取者になることを望み、国民的な自動車であるフォルクスワーゲンのラジオ版ともいえる
「国民受信機」を大量生産して販売した。28のラジオ製造会社が宣伝省の命令で共同開発したこのラジオは安価にするため単純な構造だった。これによって近隣の電波しか受信できず、外国の放送が入ることはなく、2重に都合が良かった。これを大量生産して一家に一台のラジオ、という形にすることがゲッベルスの狙いであった。事実発売初日にこの国民受信機は10万台が売れた。ゲッベルスはラジオを聴くことを国民の義務とし、労働時間にヒトラーの演説番組が始まると仕事を中断させてラジオを聴くように仕向ける団体を多数設立した。国民が強制的にラジオを聴かせられることを本心でどう思ったかは別として、これは極めて有効な方法だった。

その3 映画
20世紀のテクノロジーが新たに開発したメディアが映画だった。
映画は視覚的な情報伝達であるため、より直接的に官能や感情、心象に訴える力を持っている。映画は明らかに理性的な説得には適さないメディアである。ただ、映画は新聞やラジオのように日常的に影響を与えることのできるメディアではないので、プロパガンダ戦術の1つである、繰り返す、という面では弱点を持っていた。
それでも20世紀の大衆指導者たちは映画をプロパガンダに利用しようとした。ボルシェビキはここでもその先駆的存在となり、「戦艦ポチョムキン」はロシア共産党の初期のプロパガンダ映画の傑作として今なお有名である。この映画では帝政に苦しめられる人民の姿、立ち上がる人々、戦いに勝利する民衆が視覚化され、伝えられた。このような視覚表現を通して、
高揚感と共に武力革命のイメージが大衆に刷り込まれたのである

しかし映画をプロパガンダに利用した例としてより有名なのは当然のごとくナチである。ナチは映画の役割として、党大会や集会に参加できなかった人々にまで、その模様を伝えることに主眼を置いた。こうして数多くのニュース映画やドキュメンタリー映画が作られた。ここで有名なのは「意志の勝利」である。
こうした映画が大衆に植え込もうとしたのは思想ではなく、ヒトラー個人のイメージ、或いは彼が代表する情念だった大衆を陶酔させ、ヒトラー個人に帰依させること、絶対的な指導者のイメージを作り、それを大衆の心象に刻み込むことである。この戦略を指揮していたのはやはりゲッベルスだった。この方法は現在の米大統領選挙でも実践されている

ナチは映像プロパガンダにおいて「連想」というテクニックを使った。例えばヒトラーと歴史上の英雄であるフリードリヒ大王をダブるように演出するのである。また逆に汚いドブネズミが穀物を食い荒らす様子と、薄汚れたユダヤ人の映像を相次いで写し、両者の類似性を暗示させた。こうして観客は
理性でユダヤ人問題を考える前に、感情的な嫌悪感を持ってしまい、思考停止に陥る。この方法は今でも日教組が「南京大虐殺」をプロパガンダする際、生首や腹を切り開かれた婦人の写真を提示しながら日本軍の悪辣ぶりを提示するという方法で現在でも実践されている。性質の悪いことに写真の多くは偽写真であったりする。問答無用に日本軍に対する嫌悪感を持つにいたるのである。こうした嘘は繰り返され、次第に真実へと変わっていく。
またナチは、
ステレオタイプ、紋切り型にしたユダヤ人像を誇張して描き、大衆のユダヤ人像をステレオタイプ化しようとした。例えば、ある劇映画では無実の男をおとしいれ、その妻に言い寄るというストーリーで悪辣で狡猾なユダヤ人を演出した。この効果は既に顕在化していたユダヤ人像をより強固なものにする効果があった。これら映画の宣伝戦略を指揮したのはゲッベルスである。ゲッベルスは娯楽の中にプロパガンダを縫いこませるべきだという信念を持っており、これはヒトラーにはないものだった。しかし、現在のハリウッド映画のプロパガンダ効果を考えれば、正しかったのはゲッベルスだったことがわかる。アメリカの宣伝戦略のほとんどはナチから学んだものである。


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〜幻影の時代の始まり〜

その4 テレビ
アメリカの歴史学者ダニエル・ブーアスティンによれば、「
我々は幻影の世界に生きて」おり、「空想のほうが現実よりも重要」である。幻影の時代はテレビの普及と共に始まった。テレビは現実の一部を恣意的に切り取って我々に伝える。それは全くのデタラメではないけれども、真実では断じてない。それはイメージによって構築される世界である。我々はそんなイメージの攻撃に常にさらされている。
テレビの普及はプロパガンダ戦術のあり方に革命をもたらした。大群衆の前で絶叫を上げるヒトラーのようなスタイルは今日ではあまり見られない。テレビ画面を通じてにこやかに語りかける手法が一般的になった。テレビは、映画の日常的でないメディアであったという弱点を、克服している。テレビはある面では政治指導者のしぐさや語り口などを生々しく伝えたので、カリスマ性と神秘性を剥ぎ取ってしまい、彼らがドラマチックでもなんでもない普通の人間であることを白日の下に晒した。しかし、プロパガンダ戦術が効力を失ったというわけではない。それどころかプロパガンダ戦術は新しいトリックを発見さえした。そして、ナチ・ボルシェビキプロパガンダが基本に横たわっていることにも変わりはない。テレビによって新しくなったのはそのスタイルであって、大衆が理性ではなく感情に動かされること、単純化して反復することによって暗示をかけること、それは何も変わっていない。変わったのはそのスタイルである。
こうした新しいスタイルが見られるのは主にアメリカであるが、日本も例外ではない。

最初に選挙にテレビが利用されたのは1950年代のアメリカ大統領選挙である。ロナルド・アイゼンハワーがテッド・ベイツ社にテレビ宣伝を委託し、同社が初めて選挙用コマーシャルを製作して放映した。ここからアメリカのイメージ政治、イメージ選挙の時代が始まった。
テッド・ベイツ社の重役ロサー・リーヴスは広告宣伝で大成功をおさめた人物だった。彼は
アイゼンハワーを全く商品と同じように宣伝した。いや、むしろ商品そのものとして扱った。実際彼の宣伝戦略は商品広告のためのコマーシャルの基本的手法と全く同じだった。アイゼンハワーは第2次大戦の英雄であり、親しみやすい風貌を持っていたので売り込みやすい商品であったといえる。リーヴスは世論調査を実施して大衆が何を求めているのかを把握した上で、コマーシャルの内容、その宣伝コピーを製作した。これは商品広告の方法と全く同じである。リーヴスはこう言った。「政治家は世論が何を望んでいるかを知った上で政策を変えなければならない それはコーンフレークの箱の色が消費者の好みにあわないとわかったら色を変えるということと何も変わりはしない 政治家たちは選挙に勝ちたいと思っている 私は彼らが信念を持っているなどとは思わない ケネディもアイゼンハワーも信念など持っていなかった アメリカの政治家は誰もそんなもの持ってやしないのだ」つまり、独自の信念など持たずに国民のニーズに合わせて政策をころころ変える軽薄な者こそアメリカ大統領となれるのである。

ケネディも同じだった。彼はまさしくテレビが生んだ大統領であり、アイドルだった。若々しい風貌、快活そうなしぐさやふるまい、ボストンの大金持ちで、ハーバード大学出身のエリート、美しい夫人とかわいい子供。テレビで伝えられる彼のイメージが大衆を虜にした。人々は彼に夢を託したのである。つまりケネディは人気アイドルや映画スターとほぼ同じ存在であった。
テレビ時代に入って政治家は多かれ少なかれアイドルと同じ要素を持つ必要がでてきた人々は彼の政策を支持したのではない。テレビの作り出すイメージに恋したのである。感情的に気に入ってしまえば、大抵の言葉を支持できるようになる。しかもケネディは大衆が嫌がるような耳障りなことは一切言わなかった。
ケネディとニクソンがテレビで討論した際、ニクソンが全くテレビ戦略に無知であったのに対し、ケネディはメーキャップを施し、白黒の画面にはえるような色のスーツを選んだ。テレビを見た視聴者は大部分がケネディが討論に勝ったと答えた。しかし、ラジオで討論を聴いていた者は半々がケネディとニクソンが互角の勝負をしていた、と答えたのである。

アメリカ大統領は選挙に勝つために様々なパフォーマンスをテレビ電波に乗せている。数を上げればきりがないが、アメリカ史上最も悪質といわれたプロパガンダCMを紹介してここはしめくくるとしよう。
「少女とひな菊」
小鳥のさえずる声が聞こえる野原を背景に、1人の少女がひな菊の花びらを一枚ずつ数を数えながらちぎっていく。4567・・・
少女の顔が静止画となり、花びらを数える声が男の声に変わる。
そして少女の顔がクローズアップされていくとカウンドダウンを始める。9876・・・
少女の瞳が画面いっぱいにクローズアップされ、0を数えると同時に、原子爆弾が画面いっぱいに炸裂し、きのこ雲が映し出される。
そして当時のジョンソン大統領の声が・・・「これが今問われているものです 我々人類が生き残れるか、闇の中に消えていくのか・・・我々は愛し合わなければなりません そうでなければ滅びてしまいます」


これはジョンソンの当時の対立候補が、ベトナム戦争で戦術核使用やむなしとするタカ派であったために、彼が選ばれれば核戦争が始まることをほのめかす強烈なプロパガンダだった。そして少女とひな菊は平和の象徴として描き出され、それをジョンソンが守るということを暗示させた。これはあまりにインパクトが強かったために、あちこちから抗議の声が上がり、結局1度電波に乗ったのみで2度と放映されなかったという問題作なのである。しかし、そのプロパガンダ効果を後の広告会社や政治家が参考にしないではいられなかった。
大衆宣伝においては政治家の主義主張は極めて単純化されなければならない。それはたった一つの短いスローガン、あるいはたった一つのイメージによって描き出されたときに大衆の心を捉える力を最も強く発揮する。それはナチの「ドイツよ目覚めよ!」「全ての労働者に職とパンを!」であったり、ボルシェビキの「万国の労働者団結せよ!」「我々は鎖以外にに失うものは何もない」といった単純なスローガンを何度も繰り返したことによって大衆の心をつかんだことと本質的にはほぼ同じである。しかし、単純化はしばしば歪曲を生む。そしてイメージによって軽薄に支持するアメリカ大衆を他山の石とすべきではなかろうか。

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〜プロパガンダ戦術〜
さて、これまでに大衆の性質と、それを操作する攻撃兵器であるメディアの威力について説明してきた。ではいよいよプロパガンダの具体的戦術について事例を挙げながら詳しく書いていこう。もちろん戦術は奥が深く全て説明することはできない。ここでは筆者が主観で選んだものをいくつか紹介するにとどめて、より詳しく知りたい人にのみ、参考文献を勧めるとしよう。


思想を単純化し、断定し、反復せよ
思想は凝縮され、1つか2つの言葉で表現されなければならない。ル・ボンによれば「
大衆は言説の論理に感動するのではなく、ある言葉が作り出す響きやイメージに感銘する」。↑の少女とひな菊の部分で解説しているとおりである。ヒトラーも次のように述べている。「大衆は無理解ですぐ忘れてしまう。だから理性で説得するのではなく、演説の内容は最低レベルの知的水準の者がわかるぐらい単純化されなければならない」。ゲッベルスも次のように述べる。「一般市民は我々が想像する以上に原始的である。したがってプロパガンダは常に単純な繰り返しでなければならない。諸問題を簡単な言葉に置き換え、識者の反対などものともせずに、その言葉を簡明な形で繰り返し繰り返し主張する者こそ、世論に影響を与えるという最終的な結果を残すことができる」。(現代日本での例:「パラッパッパッパーアイラビニィ♪」、「韓流」、「全米ナンバーワンヒット」などなど)

また、大衆は、ムッソリーニやル・ボン、カブリエル・タルドによれば「
指導されることを待っている」存在である。
大衆は強力な指導者を無意識のうちに模倣し、自発的に服従しようとする。そのような
強大な指導者が迷うことなく断定することによって、大衆は安易にそれを信じ込み、それを聞く人々を帰依者と変える。ムッソリーニも「山でも動かしうるのは信仰である」と言った。指導者は反論を許さぬ圧倒的な命令、疑問の余地なき明確な言葉によってプロパガンダを行わなければならないあいまいさは暗示の効果をてきめんに弱める
ヒトラーも
演説は常に主観的で一方的でなければならないとし、次のように述べた。「例えば新しい石鹸を売り出そうとしているポスターで、他の石鹸も有効である、と書いたらどうであろう?人々は呆れて首を横に振るよりほかにない。政治も同じである。民衆の圧倒的多数は冷静な熟慮よりもむしろ感情的に行動を決めるという女性的素質を持っている。この感情は極めて単純で閉鎖的である。肯定か否定か、正か偽か、愛か憎か、であり、決して半分はそうとか、半分は違うとかいうようなことはない。宣伝は確信させるため、大衆に確信させるためのものである。

(ドイツ第三帝国における例:大戦末期の宣伝相ゲッベルスと聴衆の、有名なやり取り)

ゲッベルス「諸君は総統と共に、そして我々とともに、ドイツ民族の全面的勝利を信ずるか!?」
聴衆の返事:「Ja!(イエス)」

ゲッベルス「諸君は容赦ない総力戦を欲するか!?」
聴衆の返事:「Ja!」

ゲッベルス「諸君はかくも必然的な戦争が、今以上にいっそう全面的かつ激烈なものとなることを欲するか?!」
聴衆の返事:「Ja!」


大衆に確信を持たせるためには、リーダー自身が確信を持たなければならない。彼自身が迷っていては大衆の信頼を得ることはできない。自ら確信を持ったリーダーにして初めて迷うことなく断定的なメッセージを発することができ、大衆に対して権威を持つことができる。

単純化し、断定し、反復することによって大衆に一定の考え、一定のイメージがしみこんでゆき、いつのまにか確固たる信念へと変わる。これは「パブロフの犬」とそうかわりはない。
しかし反復の「しすぎ」はしばしば「しつこい」「飽きた」などの不快な感情を呼び起こし、逆効果をもたらす。広告会社や指導者はそれを常に見極めねばならない。

眠っている感情を掘り起こせ
プロパガンダは、新しい信念を植えつけることとは少し違う。眠っている感情を明確な形で顕在化させることに最も効果を発揮する大衆の心の中にどこにも存在しない感情や欲求を新たに植えつけようとする試みはしばしば失敗する。現代の広告理論でも同じことが言える
このことはリーダーが常に大衆を牽引することができないことを意味している。
リーダーは常に大衆が何を求めているのかを探り出さねばならず、そうした潜在意識を鼓舞し、訴えかけることによって大衆を信望者へと変えることができる。(アメリカ合衆国における例:「少女とひな菊」上記参照 民衆の核戦争に対する潜在的恐怖を煽っている)


演説
人を説得するのは文字で書かれた言葉ではなく、話された言葉によるものである。」ヒトラーはこう述べた。確かに歴史上における大衆運動は全て偉大な演説家によってその発展を見た。演説といえばヒトラーが圧倒的に有名だが、ヒトラーの演説内容は独創的なものでも感動的なものでもなかった。彼の演説内容は既存の陳腐なステレオタイプのかたまりでしかなかった。むしろヒトラーの演説は、その独特のスタイル、声の調子や抑揚、リズム、身振り手振りから力を引き出していた。そして、そこに大群集がいて、心理的一体感に酔える現場をナチが提供していたからに他ならないヒトラーの演説のスタイルは大群衆がそこにあってはじめて引き出されたものだった。ヒトラー自身、自分が持つ力はほとんど自分の周りに集めた群集の雰囲気から生じると考えていた。ヒトラーの演説を体験したものはこう述べる。

「私はあたかもヒトラーが私個人に話しかけているかのように感じた。私の心は明るくなり、胸の奥で何かが目覚めた」
「彼の強烈な意思、真摯さあふれるその情熱が彼から流れ込んできているかのように感じた。私は宗教的回心という意外に例えようもない精神的高揚を感じた。」
「ヒトラーのカリスマ性はまるで磁場のように彼から発散する一種の心理的迫力であった。ほとんど肉体でも感じ取れるほど、それは強烈なものだった。」


またナチはヒトラーが演説する際、大衆がヒトラーに帰依するように綿密に計画を施した。
・大衆が押し合いへしあいして、より一体感を味わえるように常に演説の会場は狭すぎるぐらいだった
・聴衆のうち3分の1は党員だった。サクラはその熱狂を他の聴衆に伝染させることができた。
・女性を常に聴衆の最前列にすえた。なぜなら女性は興奮しやすく、他の人々にその興奮を伝染させるからである。
・ヒトラーは常に声の調子や照明の具合などに気を配った。彼は政治を一種のスペクタクルだと考えていた。
・「演説は夜行え。夜は強い意志の支配に対し容易に屈服する。判断力も昼と違って、鈍くなっている。」by ヒトラー
・ヒトラーはしばしば聴衆を長い時間待たせた。ヒトラーが現れる間、親衛隊や突撃隊が太鼓を打ち鳴らし、ハーケンクロイツをひるがえして整然と行進した。演説者がかわるがわるヒトラーを褒め称え、マーチ音楽が緊張感を高めた。そして不意にヒトラーは現れ、喧騒きわまりない大衆に顔を向けるのである。


このように
ヒトラーの演説は理性に訴えかけるものなど皆無で、徹頭徹尾、情感や官能に訴えかけるものだった。一種の集団催眠といっていいほど、彼らの演説は大衆プロパガンダの傑作を次々生み出した


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物事をあまり深く考えない人ほど騙しやすい
現代のプロパガンダについてのプロが発見した事実が5つある。

・広告に「新しい」「素早い」「やさしい」「向上した」「いま」「突然」「驚くべき」「発表する」が含まれているとその商品はよく売れる。(「素早く除菌!」「お肌に優しい弱酸性〜〜」「いま一番日本で選ばれている医療保険は?ア×ラック!」などなど)
・スーパーやコンビニでは客の目の高さの商品が最も良く売れる。逆に同じ商品でも、一番下の棚の商品はその半分ほどしか売れない。
・漫画や歴史上のキャラクターよりも、セックスアピールのあるモデル、赤ん坊、動物を用いた広告の方が、商品がよく売れる。(某消費者金融CMなどはグラビアアイドルやチワワを使っている ア×フル ア×ムなど)
・スーパーでは一番端の棚の商品やレジの近くの商品が最も良く売れる。
・1個500円の商品を、2個1000円で売ったほうがよく売れる。(「今だけ2つまとめて××円でご奉仕!」)


何故これら5つの方法が有効なのか?
我々は宣伝に対してほとんど心あらずというやり方で反応することがよくある。これをエレン・ランガーは「無思慮」と呼んだ。
人間は無思慮、つまり
何も考えずにぼけーーーっとしてる時は、物事を深く考えずに決断してしまう。この場合、ある説得や宣伝を受けた時に、感情的に決断してしまいがちである。例えば、ある政策を訴えかける政治家がいるとしよう。この政治家がデブではげであぶらぎっている不潔なおっさんだったらどうだろうか?貴方はこのおっさんの言うことを支持するだろうか?無思慮な人はこれを支持しないと考えられる。いくら政策が素晴らしくても、そのことについてほとんど何も考えずに聞いているとしたら、政策の中身よりも話しているおっさんの印象やイメージで感情的に決断してしまうのである。逆に政策の中身に十分に興味を持ってしっかり聞いていれば、おっさんの見た目はある程度気にならなくなる。マスコミがある政治家をつるし上げている時に、その政治家が何をしたかではなく、その政治家の印象の悪さに便乗した経験はないだろうか?「何で(マスコミニ)叩かれてるの?」「いや、よくわかんないけど、なんとなくこいつむかつくじゃん☆」という会話の経験は?これと同じことなのである。つまり大部分の政治に無関心な大衆を動かすには、清潔で爽やかでクリーンなイメージを演出すればよい。小泉総理をみるとよい。簡単なことである。
人はある物事についていつも神経を尖らせているわけではない。
なんとな〜く流れ込んでくる情報こそ最も注意しなければならない、恐るべき洗脳かもしれないのである。グラビアアイドルやチワワのイメージで軽く金を借りてしまった人はいないだろうか?いないとは思えない。あのCMはナチが使った「感情に訴えかける」「反復する」「単純化する」を全て網羅している恐るべきプロパガンダである。注意すべし。「はじめてのア×ム♪」「どうするアイ×ル〜♪」などの一言、二言で表現できる単純な歌もナチやボルシェビキの政治的スローガンと全く同じである。誰もがあの歌で某会社を思い浮かべる

合理化せよ
ある物事を信じ込ませる時に合理化するという方法がある。かつてカミュは「
人間は自分の人生が無意味でないことを確信するために全人生を費やす存在である」と言った。ではどうすればそれを確信できるのか。自らの行為を正当化するのである
1957年、社会心理学者フェスティンガーは、
認知的不協和理論というのを提唱した。これはある物事を行うにあたって生じる矛盾を解消しようと人が行動しがちなことを言う。簡単に例を挙げると、健康に悪いタバコをあえて吸うという矛盾がここで言う「不協和」である。この不協和を解消するためには、「タバコを吸うのはカッコイイ」「タバコはストレス解消に役立つ」「タバコは時間つぶしに便利だ」、と思うことである。これを合理化という。このような自己説得というか、合理化は人間が自分の精神を守るために無意識に発動する防衛システムだと考えられている。宣伝においてもこれを利用するのである。例えば宣伝家はこの認知的不協和を意図的に起こすような説得を試みる。例えば何かに罪悪感を感じさせたり、自らを偽善者であると思わせたり、不適切感を連想させるような説得である。そしてこのような不適切感を解消するために、宣伝家の要求に従うことを暗示させるのである。こうして、哀れな犠牲者は車を買ったり、お金を寄付したり、敵を憎んだり、1票を投じたりするようになる。(例:原子爆弾を投下し、数十万人もの無抵抗の民間人を虐殺したアメリカ。アメリカ人は自らの国を「正義でフェアで自由の寛大な国」と思っているが、「民間人を虐殺すること」とは矛盾(不協和)している この不協和を解消するために、殺された民間人は「劣った猿のような残虐で邪悪な民族である」と思うことによって、不協和、罪悪感を解消する 彼らは原子爆弾を投下した是非について語る時、今でも「あの時の日本はファシストだったから」と言う 彼らは今でも原子爆弾投下を正当化している 本当は無意識に罪悪感で一杯なのである ナチの人種迫害にも同じことが言える ユダヤ人を邪悪で劣った人種だと思うことにって、迫害を正当化したのである)

レッテル張り、ラベル付けをせよ
これは政治的なスローガンの話によく似ている。
例えばあるアスピリンを宣伝する時に、「
素早い効き目!これより早く効く製品はありません!」「これ以上胃に優しい製品はありません」と宣伝したとしよう。で、値段が他社のアスピリンよりも高い。国が実施したテストでは普通のアスピリンに比べて特別効果の強いアスピリンなどない。アスピリンは実はどの会社も同じ効果のアスピリンしか扱っていない。胃の荒れ方にも特別な差はないという結果が出ている。つまりアスピリンはどの会社もアスピリンでしかないのである。にもかかわらずこのアスピリンは他社よりも何倍も高い値段で売られていることがある。また、「多くの医師が推奨する」という決まり文句もある。しかし、成分表を見てみると、全然平凡だったりする。しかし、我々はなんとなくその「多くの医師が推奨する」高いアスピリンを買ってしまう。不思議である。
もちろん我々が注意深くチェックすればこれら見え透いた嘘は見抜かれることが多い。しかし、人はいつも神経を尖らせているわけではない。知らず知らずのうちに影響を受けて何となく騙される。

アメリカ大統領選挙にしろ、ナチのプロパガンダにしろ、レッテル張り、スローガンは反復することによって強大な効果を挙げた。

グランファルーン・テクニックを利用せよ
グランファルーン・テクニックとは要するに仲間意識である。ある実験では数人のグループ一人ひとりにコインを投げさせて表が出たグループ、裏が出たグループとわけるだけで、表グループ、裏グループというように明確な差別意識がうまれ、表グループのメンバーは同グループの人とは親しくするが、裏グループの人とはあまり会話しないなどのように、仲間意識と排他意識がみられたという。同じグループに属する人は、同じグループの規律やルール、期待を破らないように行動する傾向にあることがわかっている。仲間意識を持たせ、規律をつくり、当然それを守るべきであるとする雰囲気を作り出すことである。しかし人間には、自らの自由が失われると感じたとき、その自由を取り戻そうと行動する傾向を持っている。これは高圧的に命令されたりすることによって誰もが反感を持つことを例に出せばわかりやすい。これを心理的リアクタンスという。この心理的リアクタンスを起こさせないために、説得や命令は穏やかで友好的なものでなければならない。また仲間意識を鼓舞することによって心理的な高揚感や誇らしさ、を演出することが必要である

宣伝に抵抗するにはどうすればよいか?

ここまで大衆という性質、プロパガンダの具体的な戦術の例、そしてその攻撃兵器であるメディアの威力についてまとめてきた。
この長々しい文章も終わりに近づいている。最後にまとめと、プロパガンダに対抗するための心構えのようなものを解説して終わりたい。

宣伝にどう抵抗する?
宣伝とは多くの場合、悲しいほどあからさまである。そのため
多くの人は自分がだまされることはないとタカをくくっている。しかし実際には宣伝は馬鹿馬鹿しいほどに簡単に効果が出る。アメリカのベンソンというタバコは集中的に宣伝を行った結果、売り上げが7倍にもなった。マッテルという玩具会社は同様にして会社の規模が24倍にもなった。宣伝があからさまに利益を狙った誇張されたものだと多くの人は知っているが、それでも効果は計り知れないものがある。特に子供は宣伝に対する抵抗力が大人よりも低く、90パーセントの幼児がおもちゃやおかしを親におねだりするという結果が出ている。では子供はどうしてだまされるのか?子供は無垢だからか?実験結果は全く別のものであった。
子供は幼いころから白々しい宣伝に懐疑的な態度を形成させていく。アメリカの小学生の約90パーセントは6年生までに、広告宣伝の多くは、虚偽か誇張であるという冷笑的ともいえる認識を持つにいたる。こうした疑念は大人も同様である。しかしタバコの売り上げはうなぎのぼりである。ある特定の商品がよく広告に出てくるという理由だけで、その商品をよく買う傾向があるのである。
まず第一に、
ある実験結果は「今から宣伝しますよ」と一言付け加えるだけでその後の宣伝の効果が薄れることを示した。逆に何の前置きもなく宣伝をすれば態度を変化させる被験者が多くいた。これは一言前置きを入れるだけで、心の準備が出来、宣伝に対する反証をする容易が生まれるからであるとされる。前置きは、「気をつけてください 今から私はあなたを説得しようとしているんですよ」といっているも同然なのだ。

しかしこれは被験者の個性が現れる可能性がある。人は固い信念を持っているように見られたいと思ったり、逆に、石頭ではなく違った意見も受け入れる余裕があるように見られたがったりする場合がある。前者の場合、前置きは態度を硬化させるし、後者の場合態度は軟化されるかもしれない。必ずしも言い切れる問題でもないのである。

この「反証」という観点で眺めてみると、興味深い結果が浮かび上がる。
人は「反証」をする時間的、心的余裕がない場合、前置きを入れてもほとんど宣伝に対する抵抗力は見られなくなるのである。つまり前置きを入れても、宣伝がくるとわかっていても、その直後に注意をそらすようなことを言って考える時間を与えなかったり、被験者がその宣伝に興味がなくてろくに考えようとしない場合、(自ら反証する気さえない場合)宣伝に対する抵抗力は格段に薄れることがわかっている。ここが大変重要である。
我々はぼんやりとテレビや新聞を眺めることが多い。多くの場合、新聞やテレビは興味を引くような刺激的な内容ではないからだ。真面目にみない。見てはいるけど興味がないから。見るともなしに見ている。なんとなく。しかし皮肉なことにそのような態度が、洗脳を招く最悪の態度である。宣伝者が自分たちを取り込もうとしている、そのことは知っていても真面目に見ていないから反証しようとしないため、結果的に宣伝に踊らされてしまうのである。思い起こしてほしい。政治に興味がないものほど南京大虐殺を中国プロパガンダそのままに信じ込んでいる。そして興味がないから本当はこうかもしれない、というような議論に耳を貸そうとしない。彼らの洗脳は強く、簡単に目覚めさせることは出来ない。

おっと・・・上記の内容ではいかにプロパガンダに抵抗するかではなくいかにプロパガンダにかけるかを書いてしまっているようである。しかし
いかに抵抗するかは、いかに洗脳してこようとするかという戦術を知る上で生まれる。時に、我々は悪魔の宣伝者の身になっていかに人をだますか、を考えてみることも宣伝に対する抵抗力になるはずである。そして以下の三つを考えよう。
・宣伝している側はこの宣伝で何を得るか
・どうしてこのような宣伝方法を用いるのか?どうしてほかの方法では駄目なのか?
・宣伝者の要求に従わなかった場合、何が起こるか?別の選択肢はありえないか?


ということである。努々忘れぬよう・・・。
そして最後に、自らの立場に軽く反論を入れてみるのである。「このタバコを買ってみてもいいんじゃないか?流行りだし、話のネタぐらいにはなるだろう」「いや、このタバコは大分前吸ったことがあるが大してうまくない。それにこの広告会社のCMは白々しくて嫌いだ、買ってやるもんか!」と。
ある実験では自らの信念に軽い反論を加えて、より強力な反証で自らの信念が正しいと証明された場合、免疫効果が現れて態度が変わりにくくなるということである。難しい例えだったかもしれないが、簡単に言うと、打たれ強くなるということだ。常に自分の信念が正しいかどうか自問自答し、議論をし、信念を固めておくことが最も効果的であると実験は示している。簡単に宣伝に踊らされてしまう人は、自らの信念にある種の挑戦を受けたことがない人なのである。そのため、子供は経験が未熟ゆえ、だまされやすい傾向にあるのではないか。

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総括
独裁者になる方法


ここまでの長文を全て読んできた貴方なら、いかにして独裁者になるべきかという骨組みは理解できたはずである。ではここではまとめとして、実際独裁者になるためにどのような手順を踏むのかをおさらいして終わるとしよう。

まずあなたは宣伝の重要性を知らねばならない。無知な大衆を牽引していくには効果的な宣伝が不可欠であることを理解せねばならない。決して軽視してはならない。
そして貴方は何よりもまずジャーナリズムを手中にしなければならない。ある革命家は「
どんな革命家にもカラーテレビが必要だ」と言った。
・・・
さあ、今あなたはある番組の編集者と、コネで結託するチャンスを得たぞ。いまや
番組プロデューサーはあなたの党の同志である。貴方はカラーテレビのとある番組で自分たちを巧妙に宣伝する重要なまたとないチャンスを得たわけだ。
運がいいことにその番組は夜の9時から開始だぞ。その前までは難しそうなドキュメンタリー番組をやっているようだ。知的水準の高い階層の人間が続けて貴方の番組を観る可能性が高いぞ。これは滅多にないチャンスである。
あなたはこの番組で巧妙に宣伝を行うべきだ。
小難しいドキュメンタリーにするより娯楽性の高いエキサイティングな番組にするべきだ。必要とあらばあなたは芸能人やロックアーティストを出演させることも出来る。娯楽の中に巧妙に宣伝を縫いこめよう。そして宣伝は反論も織り交ぜて公平性をアピールするべきである。しかし、その反論を打ち砕く、より強い反論も提示して、結局宣伝が正しいことを強固なものとすることを忘れないように。司会者は清潔で知的で、さらにユーモアのある人物に出来れば望ましい。後はこの番組を繰り返し、視聴者の反応が変わるのを待てばよい。ここで最も重要なことはプロパガンダしているということを視聴者に知られはならないぞ。特に小難しい番組にすると視聴者は嫌がってチャンネルを変えるかもしれない。人は自らの信念が揺らぐとき、不快感を感じて理屈抜きに耳をふさぐ性質があるんだ。こうさせてしまうと宣伝の効果は落ちることになる。こういった行動をとらせないために娯楽性の高い番組にして何度も何度も似たようなことを繰り返すのである。娯楽番組ならば宣伝されていることに気づかずになんとなく影響を与えることが出来るぞ。視聴者の、ある宣伝に対して反論を与える余裕を削ぐことができる。チャンネルを変えることも少なくなるだろう。
まだやることはあるぞ。あなたは
自分の党の宣伝機関をつくり、出版社や新聞社をつくるべきだ。気遣い無用にあなたとあなたの党を好意的に宣伝してくれるぞ。たくさんの子会社を設立したり、経営不振の出版社を取り込んだり、社員をたくさん雇ってそれを大きなものとしなければならない。さあそれができるかな?もちろん膨大な資金が必要だ。あなたの思想に賛同する資本家と結託している必要があるぞ。この世で最も重要なものは人脈だ。
・・・
さあ、今あなたは選挙で多大な効果をあげたぞ。長年の宣伝戦略が成果を挙げたようだ。
あなたはある国の国家元首になれたぞ。あなたはこれから自分の意見に反対するであろう全ての他の政党を解散させ、議会と国防軍を手中にしなければならない。宣伝と暴力装置を手中にすることが絶対不可欠だ。

あなたは必要とあらば軍よりも
、党とあなた自身にのみ忠誠を誓う暴力装置を設立することもできる。イランの革命警備軍や、ナチスの突撃隊、親衛隊、イラクの共和国防衛隊などのような武力部隊だ。あなたは彼らを徹底的に洗脳して高い報酬を与え、あなたの命令に一切の疑問をはさまないまでに教育する必要がある。洗脳とは朝鮮戦争のときに中国共産党や北朝鮮がアメリカ兵捕虜に対して行った教育のことをさして、生まれた言葉だ。これは単純で簡単だ。自分にとって望ましい行動をしたら高い報酬を与え、望ましくない行動をとったら厳罰をかすということを徹底的に繰り返すだけだ。厳罰に効果的な拷問方法も説明できるがこれはまた別の機会にしよう。どうかな、簡単だろう?あなたは彼らをセミナーとか合宿という名の下に外部から切り離す必要がある。親兄弟とも面会させてはならない。手紙は全て検閲し、あなたの悪口がもし書いてあったら徹底的に再教育を施すべきだ。そして仲間意識や集団規範を設定し、これらを守ることが最も重要だと教育しよう。もちろん集団に属することが誇らしいというような高揚感を継続的に与え、外部を敵とみなすように教育しよう。これで彼らは集団に属していることを誇りに思い、集団から離れることを恐れるようになるぞ。あなたの忠実な私兵になったわけだ。彼らを仮に「特別行動隊」と呼ぶことにしよう。

後は無知な国民に自分ひとりを絶対的な指導者だと思い込ませることによって、独裁を正当化し、政権を磐石なものとしなければならない。
貴方はメディアの全てを支配するべきだ。
あなたの党に反対するジャーナリストには取材をさせないようにしよう。そして時には警察や先ほど教育した特別行動隊などを使って取調べを行ったり、脅しをかけたり、スパイを送り込んだりして活動を停止させよう。そして党に好意的な新聞社には情報をふんだんに与え、賄賂を送ったりして優遇しよう
ポスターやビラを利用しよう。
数百万、数千万のビラやポスターを印刷し、手中にした出版社に安価で販売させよう。もちろんデザインは力強く、美しく、視覚にアピールし、国民に高揚感を与えるような計算されたデザインにしなければならない。四六時中どこを見渡してもあなたの党のポスターが視界に入るようにしよう
宣伝はさっきも述べたように娯楽の中に縫いこませよう。
人気アイドルやロックミュージシャンの全てを買収しよう。そして学者や大学教授のような知的階層を全て取り込もうあなたの指示に従わない知的階級者は全て強制収容所に送るか国外追放にしようそれを正当化するようなテレビ番組、映画をたくさん作ろう。映画やテレビ、演説には歓喜し、拍手喝采するあなたの支持者を多数、さくらでもなんでもいいから印象的に動員しよう。こうすれば「みんなが支持するならなんとなく私も〜〜」という非論理的模倣を起こさせることが出来るぞ。人は多数の意見から孤立することに耐えられるほど強くはない。大衆は常に孤独を感じていることをわかってあげよう。あなたは彼を孤独感から解放してあげるべきだ。視覚に訴えるために「特別行動隊」に規律の美しさを表現させよう。一糸乱れぬ力強い行進や軍楽を大衆に見せてあげよう。そして国民に恐れられているそれらの上に立つあなたの存在を印象的に宣伝しよう。大衆はこの国の支配者が誰であるかを学ぶはずだ。

これで、政権をとる前から稼動していた宣伝機関とともに番組の全てをあなたの思うように操作することが出来るようになった。もうあなたの国は巨大な
「第6サティアン」だ。わざわざ隔離する必要もなくなったぞ。国民の心は全てあなたの思うように操作できる。もし戦争が起こったら、敵を弱弱しく宣伝してはならないぞ。もし戦いに敗れたときに「弱い敵に負けたわが国の軍隊」の言い訳が出来なくなるぞ。敵は手ごわく、そして残忍で恐ろしく、悪魔のような存在だと宣伝するべきだ。敵は手ごわく恐ろしいが、その悪に困難を乗り越えながら勝利する軍隊を宣伝しよう。これで実際に戦闘に破れたときに、負けたことを正当化し、また負けたことによってさらに強く戦意を鼓舞することが出来るようになった。さあ命令しなさい!国民はあなたの指導を待っているぞ!

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・・・・・・・・・・・
如何だろうか?
うさんくせえ、と思った人もいるだろう。恐ろしいと思った人もいるだろう。気色悪いと思った人もいるはずだ。長くて読んでられねえと思った人が一番多いかもしれない。
上記の「独裁者になる方法」は全てアドルフ・ヒトラーとその片腕ヨーゼフ・ゲッベルス、アメリカ大統領選挙、中国共産党の洗脳法をブレンドしたものである。もちろんこれをこのまま再現することは個人には不可能である。天文学的な金が必要だし、幾多の予期せぬ困難があるだろう。しかし、有力な政治家、マス・メディアには十分に可能である。あなた方は彼らの宣伝戦略を見抜き、抵抗しなければならない。この文章を書いたのはそれが目的である。決して悪用してはならないし、簡単に行えると思ってはならない。これでこの長たらしい文章も幕であるが、この文章を読んで宣伝戦略の巧みさや誰が利益を得ているのか、という裏側を疑う気運が整った人が独りでもいれば、筆者としては望外の喜びである。

うさんくせえと思った人のために参考にした文献を以下に示す。

大衆と政治の心理学/若田恭二/勁草書房
世論と群集/ガブリエル・タルド著/稲葉三千男 訳/未来社
群集心理/ギュスターヴ・ル・ボン/桜井成男 訳/講談社学術文庫
1984年/
ジョージ・オーウェル/新庄哲夫 訳/ハヤカワ文庫
洗脳の科学/リチャード・キャメリアン/兼近修身 訳/第三書館
20世紀の権力とメディア―ナチ・統制・プロパガンダ/平井正/雄山閣
プロパガンダ―広告・政治宣伝のからくりを見抜く/A・プラロカニス E・アロンソン著/社会行動研究会 訳/誠信書房
インターネット各種

 

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