地獄巡礼 アウシュビッツ絶滅収容所跡地


”労働は自由を与える”という嘘

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2012年12月、アウシュビッツ絶滅収容所跡地に行ってきました。







雪の降る寒い日。人はまばらです。


監視塔が威圧的に見下ろしてきました。


館内では説明とパネルが続きます。


アインザッツグルッペに今にも銃殺されようとしている犠牲者の写真


占領各地では恐怖政治が。


延々繰り返される銃殺はドイツ兵の精神をも蝕んでゆく。そこでガス室の研究が進むのだ。




PACIFICATIONS=鎮圧


子供は人体実験の材料。馬鹿げた人種妄想に基づくエセ科学者による計測。


必要最低限の栄養すら与えられなかった。


吊るされる囚人。拷問。

 




”強制収容所のドイツ科学者は囚人に何百種類もの恐ろしい医学実験をかした。囚人たちは殺され内蔵は取り出された。何千もの囚人がこのような狂気の医学実験の結果命を失い、心身に障害を受けた。”
写真は氷水に囚人を浸して凍傷を負わせ、治療方法を研究する実験。東部戦線のドイツ兵のために。


ウクライナ占領地の村で虐殺された村民。


展示を読む限りでは加害者はボリシェビキのようである。


人体実験にかされる骨と皮だけの子供達


写真左側の軍服の男は医者。人体実験の材料となる子供たちは無数にいた


”クラクフ管区、親衛隊及び警察指導者”


囚人服。この目立つ縞模様のパジャマは脱走を困難とした。


アウシュビッツ(オシフィエンチム)はナチ支配領域(ライヒスコミッサール)の中心地だった


"アウシュビッツは最も大きなナチの強制収容所である。1940~1945年までに少なくとも130万人の人々が殺された。それらの人々のうち110万人はユダヤ人であった。犠牲者の90%はユダヤ人であった。SSは彼らの多くをガス室で殺した。"


この奇妙な道具で骨を砕いて粉にした。どうやって使うのか想像もしたくない。


"ユダヤ人は完全に根絶せねばならない人種だ" ポーランド総督ハンス・フランク。1944年。
フランクはマラパルテの「壊れたヨーロッパ」に登場する。占領ポーランドで絶大な権力を振るった暴君の一人。


ハンガリーから輸送されてきたユダヤ人たち


第2アウシュビッツ=ビルケナウに到着した貨車。奥の方に略奪された物品が見える。


第3アウシュビッツ=モノヴィッツ。現存はしていない。


野焼きにされる囚人。ゾンダーコマンド(ユダヤ人の雑用係)による隠し撮り。
おそらくハンガリーから輸送されてきた囚人たち?ハンガリーのホロコーストはほんの数週間で急速に行われた。数十万人のユダヤ人が輸送され、その総責任者は悪名高いアドルフ・アイヒマン。
クレマトリウムの焼却施設では間に合わなかったそうだ。だから野焼きにされていると推測される。


ガス室は捏造とか言ってる奴は正気なのですか?自分の無知を知ってください。


毒ガス「チクロンB」。缶に入った固形物で、空気に触れると蒸気化して人間を殺した。この缶詰の大量の発注記録も証拠として残っている。


ドイツ人は生真面目に自分たちの犯罪を記録した。
この文書は略奪された現金や貴金属を記録したもの。
悪魔の収穫の記録。


金目のものだけが記録されたわけではない。コートなど身の回りの品も几帳面に記録した。
それは膨大な量で、彼らにも証拠を消すことは困難であった。賢いのかアホなのか・・


列車から引き摺り下ろされた囚人とその荷物。
日本ではホロコーストは捏造とアホなことを言う奴がいて、「列車からガス室に運ばれる光景は見たことないなあ」などとヒヨったことを言う奴もいる。無知なだけである。よくわからないなら喋らない方がいいと思います(笑)。




囚人から奪い取ったメガネ。ナチの基準ではこれは金目のものではなく、ゴミ同然の扱いだった


ユダヤ人がお祈りする時に使った布。ナチの基準ではこれもゴミだった。


囚人から奪い取った大量の衣服。これが連合軍のでっち上げなのですか?


障害者はいの一番にガス室送りに。義足や義手が大量に展示されている。


これも捏造なのですか?


囚人から奪い取った食器。


囚人たちが持っていたトランク。住所と名前が書かれている。
ナチは囚人を殺すつもりはないと生きられる希望をちらつかせた。そのためトランクに名前や住所を書かせたのである。
あとで返してやると嘘をつくために。トランクには名前と住所が書かれているにもかかわらず引き取り手がいない。
囚人を知っている生存者がいないのだ。コミュニティーがそのまま絶滅されたからである。


これらのトランクもアメリカ産なのですか(笑)?


子供用の衣服やお人形。


子供用の靴。


ナチは革製品を再利用しようとした。この靴も戦後作られたものなのですか?証拠はあるのですか(笑)?


アウシュビッツ初期は囚人の写真を撮って記録した。囚人が増えるにつれて追いつかなくなってく。


双子。左側の少女は1927年生まれ。1943年2月に連れてこられた。5月23日に死去。右の少女も7月に死亡。


囚人を直接暴力で支配したのはカポという囚人頭。彼らには個室が与えられ食事も十分だった。
栄養失調の囚人に抗う術はない。


囚人は52頭の馬が入る厩で400人が詰め込まれた。


戦況がドイツ側に不利になると便所も適当になっていく。レンガだった宿舎も木造となっていく。


死の壁。ここで銃殺刑が行われた。壁自体は復元されたものらしい。


アウシュビッツはユダヤ人の巨大な墓地でもある。慰霊のため石が積み重ねられている。


これは収容所長ルドルフ・へースSS中佐が処刑された絞首台。


クレマトリウムの煙突。囚人の出口はここだけだった。煙になって出ていくしかない。


ガス室。写真は明るいがもっともっと空気の澱んだ薄暗い不気味な場所でした。
息が詰まった。


SS衛生班によってこの小窓からチクロンBが落とされた。
人々は新鮮な空気を求めて山のように積み重なった状態で死んでいくことになる。


ガス室のすぐ横になる焼却場。死体の山はユダヤ人のゾンダーコマンドによって運ばれ焼却された。
ガス室から死体をどうやって運んだんだ?ホロコーストは捏造だよwとかぬかすバカが日本にはたまにいる。

 





いたるところに鉄条網が・・。高圧電流が流されていた。




第1アウシュビッツをあとにし、第2アウシュビッツ=ビルケナウへと向かう。
バスは一時間に一本程度。無料。


ビルケナウは絶句するほど広大な氷の地獄であった。第1と異なり建物もほぼ木造である。


”死の門”と呼ばれたビルケナウの入り口。ここをくぐれば出口は煙突だけだ。


徒歩で周るにはあまりにも広すぎる収容所だ。


囚人を運んだ貨車。これは一両だけだが実際は地平線まで続くほど連結されていたそうだ。


花と石がここにもたむけられている。


列車から下ろされた囚人はまず”選別”を受ける。
右側の軍服の人物は医者。彼の指差した場所が囚人の運命の決する場所であった。


SS工兵によって破壊されたクレマトリウム(ガス室及び焼却場)。
ソ連赤軍が数kmまで迫っているのに殺戮は強迫的に続けられた。証拠隠滅は最低限で不徹底なものだった。




ナチが連行したあらゆる国の言語で石碑が残されている。


ひ・・広い・・写真右側にも左側にも更なる広大な施設が広がっている。とても全てをまわることはできない。


焼却された灰はこの池に沈められた。12月。凍結している。


”ヨーロッパ中の150万人の男女がナチスの大量殺戮の犠牲となった。犠牲者の絶望の声、人間に対する警告としてこの場所を永遠に残そう” アウシュビッツ=ビルケナウ1940~1945


囚人のバラック。これはレンガ製。まだマシだ。


中には落書きがたくさん・・。


すさまじいカビ臭さ・・。死臭のように思えて気分が悪くなる。


トイレ・・。汲み取りは最も安全な仕事の一つだった。看守はこの”清潔すぎる場所”には近づかなかったからだ。


汚いベッドに3~4人が詰め込まれた。


”死の門”監視塔から眺めたビルケナウの全景。広いです。


この写真もほんの一部。反対方向にも同じような広大な収容所が広がっています。


恐ろしい場所でした・・。

写真を撮ることを禁じられた唯一の場所は”毛髪の部屋”。
でかい部屋の巨大なガラスケースに数万人分の毛髪が山と積み上げられていた。
その光景には絶句せざるを得ない。拝まずにいられない恐ろしい場所だった。

髪の毛はドイツ企業に1kg50ペニヒで袋詰めにされて買い取られ、絨毯にされたり空襲で焼け出された市民や東部戦線兵士の防寒着とされた。まるで羊の毛を刈り取るかの如く。






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