地獄巡礼 トポグラフィーオブテラー ~ゲシュタポ本部跡地~


”ゲシュタポ、SS(親衛隊)とRSHA(帝国公安本部)”
恐怖政治の拠点

 

2012年12月、ドイツ、ベルリン、プリンツ・アルブレヒト通りにあったというゲシュタポ本部跡地に行ってきました。


プリンツ・アルブレヒト通り8番街。ベルリンの壁の残骸のすぐ横にそれはありました。


どこまでも続くぐらい広いです。


ミュージアムは無料で観光することが可能です。
学生さんや観光客がたくさん来ていました。


この恐怖の拠点は当然ながら爆撃の目標になりました。


こぎれいなミュージアムで入りやすい雰囲気です。


中では膨大な量の恐怖政治の記録やパネル写真が展示されています。


悪のエリートたち。
《総統》、《ライヒスフューラー》、《ライヒスマルシャル》、ゲッベルス、ルドルフ・ヘス・・・全員集合です。


右写真は突撃隊(SA)によって晒し者にされるドイツ女性。1941年10月の写真。


膨大な量の珍しい写真がみれます。


”ライヒスジッヒャーハイツハウプトアムト”この人物を外すことはできません。左写真はラインハルト・ハイドリヒです。
真ん中はヴァルター・シェレンベルク。SDの対外諜報部門の責任者を務めた人物です。
右端はオットー・オーレンドルフ。SDの国内諜報の責任者を務めました。独ソ戦初期にはアインザッツグルッペD隊の司令官を務めました。オーレンドルフは知的で物静かなインテリで、とても大量虐殺を指揮した人物には見えなかったそうです。


処刑される住民。独ソ戦初期?制服を見る限りでは銃殺班は警察官?かもしれません。(自信なし)


”おそらくルブリン近郊で秩序警察(オルポ)に襲われるポーランド・ユダヤ人”
”この写真は警察官のプライベート写真である。”
英語説明が併記されています。


”アンシュルス”(オーストリア併合)の際に秩序警察を閲兵するヒムラー。
ヒムラーの写真はたくさんありました。さすがミスター親衛隊ですね。


全員集合。恐怖政治の主催者たちです。


左:ご存知”金髪の野獣”ラインハルト・ハイドリヒ。ヒムラーと並んで最も凶悪で悪魔じみた人物です。知ってる方も多いでしょう。はっきり言って怪物です。
右:エルンスト・カルテンブルンナー。ハイドリヒが暗殺されるとヒムラーは御し易いこの人物をRSHAの長官にすえました。


ハイドリヒの人生や”功績”の全ては、SSの歴史とほぼ同義です。


ヒムラーの写真と同じぐらいハイドリヒの写真もたくさんあります。
ノルウェーオスロにて。ハイドリヒとゲシュタポ長官ハインリヒ・ミュラー、ヴァルター・シェレンベルク、ノルウェーの保安警察及びSD上級司令官ハインリヒ・フェーリスなどが見える。


フランスやベルギー、ドイツの強制収容所では”報復兵器”V2の工場があったようだ。


マウトハウゼン収容所から脱走を図った囚人たちの遺体。脱走は困難であった。


アウシュビッツのスタッフたち。休暇中。すげえ楽しそう(笑)。


すんげえ有名なSS隊員がいます。わかりますか?不敵に笑う”死の天使”










左写真はミンスクで国防軍の仮収容所を視察するヒムラー。一緒にいるのはアインザッツコマンド8隊の司令官オットー・ブラートフィッシュ。同日ヒムラーはユダヤ人の処刑も視察した。
14万人いた収容所の環境は壊滅的ひどさだった。




ゲシュタポに処刑される労働者。


これはヒムラーと”東部”親衛隊及び警察高級指導者(HSSPF)ヴィルヘルム・クリューガーが会話している写真。
1941年クラクフ近郊にて。


これは有名な写真ですね。




ユダヤ人の豊かなあご鬚を切ることが、彼ら一流の侮辱法でした。ガキのいじめみたいですね。


ルブリン近郊でポーランドユダヤ人を迫害する《秩序警察》。
《秩序警察》はアインザッツグルッペと大差ないほどホロコーストの主力実行部隊でした。


繰り返される処刑。
”ドイツ人は恐ろしく冷酷なことをするというがそれは事実か?とわたしにたずねた。「彼らの冷酷さは恐怖の裏返しなのです」私は答えた、「彼らは恐怖という病にかかっています、病んだ民族です、"クランケス・フォルク"」”



”ドイツ人は血と破壊に飢えているというが事実か、と私に尋ねた。「彼らは怖いのです」私は答えた、「一切を、あらゆる人を恐れています、恐れるあまり殺戮し、破壊する。…」「では、彼らは獰猛なのですね、では、こともなげに人々を虐殺するというは事実なのですね」「ええ事実です」”


《秩序警察》に射殺される人々。チェコにて。


虐殺された人々。リディツェ村。1942年10月。
ハイドリヒ暗殺の報復にこの田舎の村が選ばれ、まもなく地図上から姿を消した。


焼かれる村々。「炎628」のワンシーンみたいだ!


今にも処刑されようとしているソ連市民・・写真手前の銃殺班が笑っていることに注目。


ヤルタで絞首刑にされ、さらされる市民の遺体。
”「武器を持たない人たちを虐殺しています。村々の広場で、ユダヤ人を木の枝に吊るして縛り首にし、家ごと、鼠も同然に焼き殺し、"コルホーズ"や工場の内庭で農民や工員たちを銃殺にしています。…彼らは枝に死体のぶら下がった木の蔭で笑い、食べ、眠るのです」「"クランケス・フォルク"だ」”           -「壊れたヨーロッパ」より


・・見慣れない制服だ・・これは一体・・


南仏ヴィシー政府の政治警察隊員のようです。
フランス人はノリノリでホロコーストに協力しました。そのくせ被害者ヅラしてるのです。


また出てきました!フランスの空港に到着したハイドリヒです。


オランダの”親衛隊及び警察高級指導者(HSSPF)”ハンス・アルビン・ラウター。
”保安警察及びSD上級司令(BdS)”の隊員を閲兵する。ハーグにて。1942年。


ギリシャにて。公開処刑。世界中で何人殺したんだ?!


《秩序警察》とイタリアファシスト党の特別部隊に拘束されるレジスタンス。
1944年戦争末期。


《総統》に挨拶するカール・ヴォルフ。
イタリアにおける”親衛隊及び警察最上級指導者”。最高幹部の一人。


アメリカ軍と交渉する”保安警察及びSD監察官” ヴァルター・ラウフ 1945年4月30日


恐怖政治は武力で打倒されるその最後の瞬間まで続いた。


アルデンヌ戦におけるパンツァーグレネーダー(装甲擲弾兵)。《WAFFEN-SS》


左:マルメディの虐殺
右:《武装親衛隊》で最も狂信的な戦いぶりで知られる「髑髏」師団もついに降伏した。


ノルマンディで投降した《武装親衛隊》兵士。ダス・ライヒか?ヒトラーユーゲントか?


自分たちが支持した体制がどんな犯罪を犯したのか?それを見させられるドイツ市民。本当に反省してんのかこいつら?


ベルリン防衛戦で投降した《WAFFEN-SS》。まだ子供だ。ドイツ人でない可能性も十分にある。ベルリン防衛戦で一番最後まで戦ったのはドイツ人ではなく、《WAFFEN-SS》の外国人義勇兵士たちだった。


解放された強制収容所の官吏たち。なんて極悪な面構えだ。


《総統》とその下僕。


《悪魔》の死顔。”ナチの最も極悪な15人”というランキングで1位はヒトラーではなく・・この”忠臣ハインリヒ”である。


黒衣の騎士団。


その狂気の暴力装置の前に人々は成す術もなかった。


その頂点に君臨していたのはハインリヒ・ヒムラーである。


なんとこのミュージアムの地下にはナチス本図書館がありました!


近所の大学生はここで無限の時間をナチの研究に捧げるのですね・・。羨ましい・・。
うちのそばに欲しいです(笑)。


出る頃には夜になっていました。

戻る