地獄巡礼 ダッハウ強制収容所


2013年7月16日、ダッハウ強制収容所跡地を訪れました。

 


ミュンヘンからダッハウ駅まで20分ほど。降りるとすぐにバスの案内が。


バスで15分ほど。着くと最初に売店があります。小さな本屋があります。




収容所の外にはSSの詰所もあります。その場所には説明書きがあります。


歩いているとようやく門が・・


おなじみの門です。






様々な展示があります。






ダッハウ設立の歴史が展示されている。




強制収容所総監テオドール・アイケです。
1933年6月26日、ダッハウの司令官に着任後、囚人たちに非人道的な規律を強いた男です。「寛容さは弱さの印」
後に《武装親衛隊》の第三装甲師団の司令官になり、東部戦線で死ぬまで戦いました。


《ライヒスフューラー》もご機嫌でしたね。下には簡単なバイオも書いてあります。
特に目新たらしいところはないですね。

 




”SSの兵舎は強制収容所のすぐ隣に有り、そこで兵士たちは軍事教練や思想教育を受けた。
政敵に対する憎悪や反ユダヤ主義、偏った人種観はその基本であった。
最初にこのような思想教育を受けたSSフューラーたちは、アイケによって次々作られる新設の収容所の指導的役割に任命された。
SS兵士たちは機関銃を備えた監視塔から囚人たちを見張り、鉄条網の外側も警邏していた。”


ハンス・ローリッツ。
1936年からダッハウ収容所の所長に。部下のSS隊員に情け容赦なく囚人を扱わせた。
その後ザクセンハウゼン収容所所長にもなる。


ダッハウにいた色々なSS隊員の紹介が続きます。ハインリヒ・デューベル。
彼は囚人の扱い方が”人道的すぎた”ため左遷されたということです。


ダッハウ設立初期、政治犯にユダヤ人は少数だった。乞食や変人、移民や”エホバの証人”、同性愛者やプロの犯罪者が多く収容されていた。
1938年のアンシュルス(オーストリア併合)の後、ユダヤ人、ロマ・シンティが収容されるようになった。
”水晶の夜”(ドイツで起こったユダヤ人の虐殺・暴動)の後は11000人ものユダヤ人がダッハウに強制連行された。非人道的な行為が行われたようだ。


囚人に対する懲罰の数々もダッハウで取り決められ、その他の収容所がそれに習った。


囚人のロッカーでしょう。


収容所では拷問が日常でした。


フリードリヒ・メネッケ医師。ドイツ国防軍の軍服を着ています。彼がいるということは・・
隣にはT4作戦のあらましが書かれていました。
”1941年春には既にSS指導部は労働に適さないものの殺害を始めていた。
それはダッハウはもちろん、ザクセンハウゼンやブーヘンヴァルトなど少なくとも10の収容所で”病人”と呼ばれた何千もの囚人が安楽死施設に輸送され、毒ガスで殺された。”ということのようです。


脱走に失敗した囚人の亡骸。痛ましい写真が続きます。


囚人がどのような拷問を受けたか、栄養状態はいかに不良であったか、説明が続きます。


クラクラして外に出ました。すると不思議なモニュメントが・・


人間の体で組み立てられています。不気味ですね。


映画も上映されています。


オズヴァルト・ポール。
親衛隊経済管理本部長官です。


1942年以降、収容所の死亡率はどんどん増えていったようです。


これは親衛隊の上層部が懲罰部隊を視察している様子です。
これはかなり珍しい写真ではないでしょうか?


”ハインリヒ・ヴィッカー:戦争中はほぼ髑髏部隊(強制収容所監視部隊)に所属しダッハウで勤務していた。
(どういう経緯かは不明だが)彼は負傷し、1943年に親衛隊経済管理本部の本部要員となる。
1944年の終わりにはNatzweiler強制収容所の補助収容所に着任した。
1945年3月~4月にかけてダッハウへの囚人の移送を指揮する。
1945年4月29日に米軍に降伏。この写真は死の列車の前でたたずむ彼の最後の写真である。”
階級はウンターシュトゥルムフューラー(SS少尉)。



米軍に解放された当時の映像でしょう。




戦争が終わり、罪人は裁かれます。


これは囚人たちのベッドですね。状態が良い。復元されたものでしょう。


ほとんどの囚人棟は取り壊されています。広いですねえ・・。


トイレですね。ビルケナウでみた”穴”よりはだいぶマシなトイレです。


まあだまだ続きます。広いのです。とても。


花がたむけられています。アウシュビッツでもみた赤い花です。




並木道を奥に進むと教会があります。シナゴーグもありましたよ。ロシア正教も。ここは慰霊の地でもあるのでしょう。






ここはクレマトリウムです。クレマトリウムってなに?


つまりこういうことです。


状態が良すぎやしないか?ザクセンハウゼンやアウシュビッツで見たものに比べると・・そう思ってしまう。
復元されたものかもしれません。


クレマトリウムの隣にはガス室が・・


アウシュビッツでみたものに比べると・・殺傷力に疑問が残ります。


換気良すぎやしねえか?そういう問題じゃないのかな?


これは一体なんなんだろうか・・?


ガス室の構造的な説明が書いてあるようですが、よくわかりませんでした。



隣の建物には・・old?


どういう使い分けがなされていたのは、残念ながらわかりませんでした。
11000人の囚人がここで焼かれたと書かれている。


周囲には学生がたくさんいます。社会見学のようですね。

帰ろう・・・・。
広いなほんと・・
ザクセンハウゼンと構造はほとんど同じだと思いますが、建物はほとんど残っていません。しかし見所豊富で疲れたね。
ダッハウはついこないだまで絶滅収容所と信じられており、それを裏付ける様々な証言があった。
しかし後に否定され、今ではどんなにイスラエル寄りの学者でもダッハウを絶滅収容所という人はいません。
証言もぱったり止んだという・・。
ではダッハウのガス室とは何か・・
・・今は試作品として造られ、使用されなかったと説明されているという。

 


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