地獄巡礼 リディツェ村跡地

 

2013年7月19日、プラハ郊外に位置するナチスに滅ぼされた村「リディツェ村跡地」を訪れました。

1939年、チェコのボヘミア、モラヴィア地方はベーレン・メーレン保護領として第三帝国に組み入れられました。
チェコは重工業の重要生産地でしたが、抵抗運動によって生産力が低下すると、ヒトラーはSS大将ラインハルト・ハイドリヒを送り込み、恐怖政治をしきました。
ラインハルト・ハイドリヒは秘密警察と情報部のトップで「金髪の野獣」と呼ばれた危険な男でした。
彼はチェコに着任すると即座に戒厳令を布告し、即決裁判を行い文字通りの恐怖政治をはじめますが、一方で飴と鞭の政策で生産力を回復させてしまいます。

その統治の非情ながらもたくみな手腕にイギリス情報部はハイドリヒ総督の暗殺を決意。すさまじい報復が予想されたが作戦は決行され、訓練を受けたチェコ亡命軍の勇士7人がラインハルト・ハイドリヒ総督の車を襲撃、重傷を負わせることに成功します。帝国中枢に文字通り激震が起こりました。ヒトラーは激怒。各警察・諜報機関、親衛隊(SS)の最高幹部が続々プラハに入城。親衛隊最高指導者《ライヒスフューラー》も独自の医療団を引き連れてハイドリヒの治療を始めました。しかしじきにハイドリヒは死亡します。

親衛隊の最高幹部たちは文字通り残虐な報復を開始、数多の無辜の民が無実の罪で処刑されていきます。そんな中、暗殺実行犯と関係しているとして平和な田舎の村リディツェが報復として選ばれました。
ヒトラーはこの村の徹底的な破壊を指示。まもなくリディツェは地図上から姿を消します。破壊の様子は見せしめとして録画されたという。恐ろしい場所です。

プラハ市内から地下鉄とバスで乗り継いで約1時間程度。リディツェ村跡地に到着しました。


とてもいい天気でした。日差しが刺さるようでした。


兵士に囲まれる民間人の様子です。


ここで恐ろしい犯罪が行われたのです。


まるで国立公園のようです。美しく管理されています。


広大な村を歩いていると、あそこに見えるのは・・


子供たちの像です。子供たちは歪んだ人種思想の生贄にされました。
ドイツ本国へと拉致されたのです。


思わず手を合わせました。


生きて国へ戻ったのはたったの15人でした。


成人男性はその場で皆殺しにされました。ここはその霊を慰める場所です。


あちこちに古い建造物の残骸が残っていますが・・
村というには何もないだだっ広い芝生です。
ドイツ軍・警察は破壊された村を地ならしし、更地にしていったのです。
「地図から消えた」というのは文字通りの意味なのです。


ここはかつて教会があった場所だそうです。その名残すら感じられません。




成人女性は皆強制収容所に送られました。テレジエーンシュタットはすぐそばです。




ここは学校があった場所とされています。


ここはもともと村の墓地だった場所です。


虐殺された人々がここに葬られた・・わけではないようです。昔からある場所のようです。


ほんとになにもないですね・・ゴルフ場のようです。


隣接してある資料館に入りました。
なんか勇ましいことが書かれていますが、なにもリディツェの村人は表立ってレジスタンス活動をやってたわけでもないのです。


これは平和な時代の村の写真でしょう。


中には映像資料もたくさんあります。


殺された成人男性の写真です。


殺された人々です。


殺された人々の名前です・・。


間違いなくここで恐ろしいことが起こったのです。



う~む・・この写真は・・
左側の男はプラハのゲシュタポ地方本部長ホルスト・ベームではないだろうか・・
中央はハイドリヒです。
右はカール・ヘルマン・フランク。プラハでハイドリヒの片腕だった男です。

リディツェの破壊は両端の二人が実行しました。


子供の人形でしょうか。


村の跡地から1キロぐらい離れた場所に再建されたリディツェ村があります。そこにギャラリーがあります。
入ってみたけど、事件とは関係のない展示でした。




村はしっかり再建されていました。しかし住民の命は戻ってきません。


無言で帰りました。


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